新世代―「育つ・育てる」
大門 碧 新時代だ。 そう思った。ウガンダの首都カンパラに立地するマケレレ大学の一室で、エクステンションが編み込まれた髪の毛を振りながら、くるくると瞳をめぐらして、悩ましそうに、でも楽しそうに話し続ける彼女を見ているとき…
NPO法人「アフリック・アフリカ」のホームページです
大門 碧 新時代だ。 そう思った。ウガンダの首都カンパラに立地するマケレレ大学の一室で、エクステンションが編み込まれた髪の毛を振りながら、くるくると瞳をめぐらして、悩ましそうに、でも楽しそうに話し続ける彼女を見ているとき…
丸山 淳子 ザンジバルには行ったことがない。とても美しい場所だという話はよく聞く。海が青くて、空も青くて、格調高い街並みが広がり、色とりどりの服を着た人たちが行きかっている。そんなイメージを持っているけれど、本当のところ…
大門 碧 同じアフリカならウガンダ出身の夫も過ごしやすいかもしれない。子どもを抱えての求職活動のなかで、南部アフリカのザンビアでの仕事を受けたのが5年前。ザンビアに夫を呼び寄せ子どもらと3年半暮らしたのち、夫の母国のお隣…
溝内克之 「マラハバって言ってくれたおばあちゃんやろ。」 4歳の長男に、タンザニアのおばあちゃんの訃報を伝えるとそう応えた。「マラハバ」とは、年長者への挨拶「シカモー」への応答の挨拶だ。2年ほど前、初めて私の調査村を訪れ…
安田 章人 ご存じのように、アフリックのメンバーの多くは、ほぼ毎年アフリカ各地の調査地へ赴き、現地調査をおこなう研究者である。しかし、私は2014年2月以来、自分の調査地に行っていない。これは、私の調査地がナイジェリアと…
村尾 るみこ アフリカに行き始めて、16年が過ぎた。それなりの期間にわたってアフリカとお付き合いしている理由は何なのかと、さまざまな場で聞かれる。とはいえ、アフリカとお付き合いさせてもらうのは、私にとってどこか当たり前に…
北村 也寸志 私の勤務する兵庫県立西宮今津高等学校で2004年度から2013年度までの10年にわたり、「アフリカ先生プロジェクト」を実施してきました。しかしながら、学習指導要領の改定により、3年次の選択科目「自然環境と人…
松浦 直毅 私がフィールドワーカーとしてささやかに誇れることがあるとすれば、2002 年に調査をはじめて以来、途切れることなく毎年アフリカに行っていることである。この10 数年のあいだには、学位取得や就職などの節目があり…
岩井 雪乃 アフリックの産声 10年前、アフリックの設立準備の会議に、私は2歳の長女の手を引いて、次女がいる大きなおなかで出席していた。博士論文は、いよいよ仕上げに入っていた。 「アフリックを立ち上げよう!」と真剣に考え…
目黒 紀夫 今の日本では、アフリカの情報が身近に溢れている。そうしたなかで、これからさらにアフリックが活動を拡げていくためには、具体的な取り組みを充実させるだけでなく、より多くの人に知ってもらって支えてもらうことが必要だ…
服部 志帆 今年4月から大学で専門的にアフリカを教える機会に恵まれた。私が担当している授業はアフリカの入門から、応用色を強めたゼミに至るまで、すべてアフリカに関するものである。私が受け持つ学生の大半は、ヨーロッパ・アフリ…
八塚 春名 日本でアフリカの楽しい話をすると、「そうはいっても、アフリカには紛争やエイズや干ばつなど、問題が山積みではないか」と指摘されることがある。山積みの問題を無視して、人びとの知恵や工夫、豊かな自然利用など、ポジテ…
黒崎 龍悟 国際協力に関心がある・かかわっているというと「立派ですね」などといわれることがある。一見、好意的にみえるこの意見は、世間の国際協力というものに対する偏ったイメージをあらわしている。 国際協力へのかかわり方やそ…
溝内克之 ミスを連発するフォワード。試合を見守るバーの客たちから「あ〜」という嘆息が漏れる。だれかが「フォワードを交代だー」と叫んだ刹那、歓喜のゴール!!店は歓声に沸いた。 日本代表の試合ではない。「ブラック・スターズ」…
北村 也寸志 この夏、大分県の中津江村(現日田市)へ行ってきた。ご記憶の方も多いと思うが、ここは、2002年ワールドカップのカメルーンのキャンプ地である。小さな山村が、アフリカの強国のキャンプ地に選ばれたとあって、日本中…
近藤 史 最後のタンザニア調査行から2年。私は大学院を修了し、以前は生活の一部ともいえたアフリカから離れて、日本の農村地域で働き始めた。日本とアフリカ、双方の農村活性化に繋がる研究をしたいと思っているが、一朝一夕にはゆか…
岡本 雅博 本はいろいろな力をもっている。そのひとつが人と人をつなぐ力であると、私は思う。特に絵本は言葉に頼らなくても楽しむことができるため、ときによっては言語や国を超えて人と人をつなぐことがある。 先日、横浜であったア…
西 真如 数名の人間が一緒になって何かをはじめようというとき、昨日まで自分が生きてきた世の中に何かを付け加えたいという思いが、そこにはあるのだと思う。付け加えられたその何かは、それまでの世界を、ほんの少し違ったものにする…
丸山 淳子 暑いカラハリの真っ昼間、めずらしく1人でぼんやりしていた私に、突然、小さなお皿が差し出された。お皿の上には揚げたてのドーナツが4つのっている。さっきまで、甲高い歌声を響かせながら、跳ねまわっていた3人の少女達…
西崎 伸子 アフリカのどんな田舎に行っても子どもたちがサッカーに興じる姿を目にする。彼らは空気が抜けてペコペコになったボールを日が暮れるまで裸足で追い掛ける。そして大人たちは,もはや日本では「遺物」となったアナログ式ラジ…