アフリカ選手の躍動とグローバル化

北村 也寸志

この夏、大分県の中津江村(現日田市)へ行ってきた。ご記憶の方も多いと思うが、ここは、2002年ワールドカップのカメルーンのキャンプ地である。小さな山村が、アフリカの強国のキャンプ地に選ばれたとあって、日本中の人々が驚いた。そんな山村を一度見てみたいと思ったからだ。

日本との関係がさほど強くないアフリカ諸国の中で、カメルーンはなじみの深い国だ。それに貢献したのは何と言ってもエムボマだろう。1997年にパリ・サンジェルマンからガンバ大阪に移籍した彼のプレーは鮮烈で、当時、横浜マリノスの井原をリフティングまがいのトラップで翻弄し、シュートを放ったシーンは今でも忘れられない。このシーズン、28試合に出場して25得点をマークし、「浪速の黒豹」と関西のサッカーファンに愛された。翌98年には、イタリアのクラブへ移籍してしまうが、2003年に再び来日し、東京ヴェルディでプレーしてサポーターから親しまれた。

しかし、彼以外のアフリカ出身のJリーガーは、その後出てこない。言葉や生活習慣の違いがあるのだろう。

一方、09/10シーズンにおいて、イングランド・プレミアリーグでは34名、フランス・リーグ・アンでは56名ものアフリカ出身の選手が活躍している。今年9月23日に発表されたナイジェリア代表メンバー30名のうち、なんと26名が欧州でプレーしているのだ。欧州各国の下部リーグに所属する選手も含めると、200名近くになるのではないか。セネガルやコートジボワール・トーゴ出身者が多く、これらの国々のレベルの高さを示すものであると同時に、国内経済が貧弱で、有能な選手が全て欧州へ流出してしまうというつらい現実を示してもいる。

グローバル化は、サッカーの世界にも容赦なく押し寄せる。欧州のビッグクラブは、アフリカの選手を吸い取り、ますます肥え太っていくのだろうか。中津江村のキャンプ跡地には、今でもオリンピックやW杯で、カメルーンを応援する垂れ幕が、カメルーン国旗とともに掲げられている。せめて、心の交歓をともなうグローバル化であってほしいと中津江の山に思うのであった。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。