遠くにありてアフリカを思う(会報第6号[2008年度]巻頭言)

近藤 史

最後のタンザニア調査行から2年。私は大学院を修了し、以前は生活の一部ともいえたアフリカから離れて、日本の農村地域で働き始めた。日本とアフリカ、双方の農村活性化に繋がる研究をしたいと思っているが、一朝一夕にはゆかない。アフリック・アフリカのエッセイを読むのが楽しみで、イベントのお手伝いができれば御の字。精力的に活動する会員に対して引け目を感じてしまう自分がいた。アフリカの大地に降り立ち続ける人だけがアフリックの活動の花形なのか?私にできることは何だ?悩みつつ、せめて聴覚だけでも彼の地に還ろうとカーステレオでアフリカン・ポップスを流していたある日、転機は唐突に訪れた。

3月も半ばを過ぎて、地元では田植えの準備が始まっていた。慣れない仕事に疲れ、アフリカが遠いと暗い気持ちで家路についた私は、車をとめてドアを開けた瞬間、自分の鼻を疑った。「あ、焼畑のにおいがする・・・。」ふらふらとにおいの発生源を辿るうち、アパートの裏手の田んぼに行き着いた。畦草を刈り、前作の残渣と一緒に燃やす、その煙が正体だった。懐かしさに目を閉じて大きく息を吸い込んだら、「なに萎れてるの、焦ることないわよ。」 タンザニアの友人達の笑顔に包まれた。それ以来、私は車を走らせながら田畑から漂う煙を見つける度に、窓を全開にして深呼吸するようになった。梅雨が明け、よく茂った畦草を焼く煙は、春先に感じた煙とは違うにおいがすることにも気がついた。五感を研ぎ澄ましてアフリカに思いを馳せるとき、当たり前のような日本の風景が違って見えた。

アフリック・アフリカは今年で設立6年目を迎え、活動内容が充実するとともに、会員の顔ぶれも多彩になった。設立当初のような現役のアフリカ研究者や国際協力関係者ばかりではない。アフリカとは無縁の企業に就職することを機に、これまで培ってきたアフリカとの縁を大切にしたいと入会する元アフリカ研究者。アフリカに行ったことはないけれど、アフリックの活動に共感して入会する人々。アフリックに深く関わりたくても距離や時間のうえで活動内容が制限されてしまう現実への葛藤は、おそらく私だけでなく、こうした新会員に少なからず共通しているだろう。だが、制限されるからこそ、日本の生活の中でアフリカに繋がる何かを感じたとき、強く印象に残ることもある。

私たちアフリック・アフリカの会員がアフリカから学び、発信してきたこと、つまり他者との濃密な関係や自然との深い交感のもつ素晴らしさは、見えない相手を感じ、思い、また対面した相手を慮る、心の動きから生じるものだと思う。それならば、プロジェクトやイベントを実施することと同じように、日々、何かを感じることも大切にしていきたい。アフリカに行けない会員も、アフリカから学んだ視点で日本を捉え、そこから見えてきたことや考えたことをエッセイなどの形で広く発信してはどうだろうか。こうした対話は、アフリカ理解やアフリカ支援に並ぶ、アフリックの重要な使命だと思う。