アフリックで伝えていきたいこと(会報第8号[2010年度]巻頭言)

八塚 春名

日本でアフリカの楽しい話をすると、「そうはいっても、アフリカには紛争やエイズや干ばつなど、問題が山積みではないか」と指摘されることがある。山積みの問題を無視して、人びとの知恵や工夫、豊かな自然利用など、ポジティブな面ばかり強調しているのではないか、と。たしかにアフリカに紛争やエイズや干ばつがあることは事実だ。しかし、それらの問題にたいして人びとが強く向き合い生きていることも、アフリカに魅力的な面が十分にあることも、私たちはアフリカとのつながりのなかで実感してきた。この実感こそが、アフリック・アフリカの活動の基盤にあるはずだと私は思っている。

今年、2年ぶりにタンザニアへやってきた。今年はソマリアやケニアなど東アフリカが、ひどい干ばつに見舞われていると日本でもたびたびニュースで伝えられた。私が調査を続けているタンザニアの農村でも、今年は例年よりも雨が少なかった。しかし、雨よりもなによりも、今年彼らを悩ませたのは、鳥による作物への被害だった。「毎日、朝から晩まで畑で鳥追いをしなければいけなかった。それでも、イースターの祭日に、ほんの数時間だけ教会へ行っていたあいだに、鳥が畑へやってきて、全部食べられてしまった。」こう語る人は多かった。

鳥は、頭上が真っ暗になるような大群でやってくる。そして、トウジンビエやモロコシといった雑穀の未熟な穂にとまり、種子の中身を一瞬のうちに食べてしまう。鳥が去った後には、中身が空になった穂だけが畑に残る。数か月かけて育ててきた1年分の食糧が、たった数秒のうちに、何百、何千という鳥に食べ尽くされてしまうのだ。おかげで、本当に全滅してしまった畑もあった。

「ほんとうに困っているんだよ、どうしたらいいのかな」といいつつも、その後すぐに、「鳥もイースターのお祝いがしたかったのかもね」と、収穫間際の食糧が鳥に食べ尽くされてしまったのに、笑って私に話してくれた。実際のところ、多くの人は、幸運にも鳥の被害を免れた畑をもつ世帯の収穫や前作の残渣処理を手伝い、少しばかりの食糧をわけてもらう。また、採集した葉っぱや木の実など、自分がもつものを他者の穀物と交換することもある。町に子どもや親戚がいれば、お金や食糧を送ってもらうこともある。こうして日々、自転車操業ながらも、なんとかやっていける。

今回、村で鳥害の話をききながら、こうした被害に直面しても、それでもなんとかやっていける、しっかりとした受け皿が、彼らの社会にあることを強く感じた。もちろん無償で分け合うほど、みなに余裕があるわけではないが、結果的には、地域内や親族間で、あるところからないところへと食糧が流れる。町に暮らす親族と頻繁に連絡をとりあい、町と村を移動する人びとやバスによって、食糧や現金が村へ届けられる。こうした地域内や親族間の強固なつながりという社会的な基盤が、ひどい被害でもなんとか乗り越えられると いう彼らの自信につながっているのかもしれない。だからこそ、「今年の鳥はひどかったよ」と笑い話のように語ってくれるのだろう。

アフリカ社会が抱える多くの問題を、楽観視するのでも、単純に問題視するのでもなく、こうした問題にたいしてどう向き合い、共存し、乗り越えていくのかという、人びとの生き方に注目すること、またそうした生き方にみられる多彩な知恵や工夫を積極的に評価し伝えていくことは、アフリカの問題をただただ悲惨な事実として伝えることよりも、ずっと意味のあることだと思う。アフリック・アフリカで私たちがおこなってきたアフリカ先生や写真・物品展では、こうしたアフリカの人びとがたくましく生きる姿を伝えてきた。私たちの活動は、未曾有の震災にあい、厳しい時代を生きている今の日本の生活にも、きっとどこかでつながり、反映されるはず。そう信じて、現実に起きていることをじっくりと見つめながら、これからも丁寧に活動を続けていきたい。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。