一冊のアフリカ絵本(折々のエッセイ)

岡本 雅博

本はいろいろな力をもっている。そのひとつが人と人をつなぐ力であると、私は思う。特に絵本は言葉に頼らなくても楽しむことができるため、ときによっては言語や国を超えて人と人をつなぐことがある。

先日、横浜であったアフリカンフェスタに参加した。アフリカ文化を一般の人びとに知ってもらうことを目的としたこのイベントに、アフリック・アフリカもブースを出すようになって2年目。今回のフェスタへの参加には、個人的にひとつ大きな目的があった。それは、さくまゆみこさんに会うことであった。

彼女は、「アフリカ子どもの本プロジェクト」を立ち上げ、子どもの本をとおしてアフリカと日本とをつなぐさまざまな活動に取り組んできたひとである。また、アフリカ人作家が書いた児童文学を翻訳し、それを日本に紹介するという仕事を推進してきた第一人者でもある。日本におけるアフリカについての一般的な情報そのものが限定されているなか、アフリカの児童文学の紹介を積極的に推進することの意義は大きい。一般的に児童文学は、子どもの目線にたって書かれているため、そこで描かれている世界は日常である。すなわち、紛争や飢饉、あるいは野生の楽園だけでない普通のアフリカを、アフリカの児童文学は扱っているということができる。

アフリカンフェスタでは、さくまさんの講演会があった。私はさくまさんの話しを聞き、そして彼女が翻訳した絵本にサインをいただくことができた。その絵本は『AはアフリカのA』AからZまでのアルファベット順に、アフリカの日常の暮らしを紹介した写真絵本である。この絵本はその後数奇な運命をたどることとなる。

フェスタが終わった翌日の午後、関東近郊から東京駅にむけて、乗客もまばらな電車に乗ったときのこと。シートにアフリカ系の男性が座ってるのが目にとまり、私は彼に話しかけてみた。挨拶をしたところ、彼の顔はこわばり、明らかに緊張している様子。日本では、こうやって見ず知らずの人から話しかけられた経験がなかったのかもしれないし、あるいはその他の理由があったのかもしれない。

私は彼の緊張をときほぐすために、「私はアフリカの勉強をしてる」と伝え、そして鞄のなかにあった『AはアフリカのA』を取り出して彼の前でページをめくってみた。まず作者の名前を読み上げてみた。Ifeoma Onyefuru・・。その名前を口にしたところ、彼の顔はほころび、こう言った。「それは私にとってファミリアな名前だ」。彼は絵本の作者とおなじナイジェリア(イボ)の出身であったのである。

彼はくいいるように絵本をみる。私はAからZまでページをめくった。そして彼は私にこう尋ねた。「あなたはこの本を売ってるのか?」。「いや、売ってはいないけれど・・・」と私。「私にはこどもがいるが、ナイジェリアに行ったことがない」と彼。すこし間を置き私は、「よかったらこれ買いますか?」ともちかけた。かくして、さくまさんのサイン入り(私の名前入り)のアフリカ絵本は、アフリカからはるばる日本にきた男性の手に渡り、そしてアフリカをまだ見たことがない日本に暮らすアフリカの子どもに読まれることとなったのである。

最初は緊張気味の彼であったが、別れぎわには握手して笑顔で別れた。「Sは握手(Shake hands)のS」とは言わなかったけれど、この一冊の絵本をとおして、私はこのアフリカの子どもと結びついている。