アフリックで、つなぎたいこと(会報第13号 [2015年度] 巻頭言)

村尾 るみこ

アフリカに行き始めて、16年が過ぎた。それなりの期間にわたってアフリカとお付き合いしている理由は何なのかと、さまざまな場で聞かれる。とはいえ、アフリカとお付き合いさせてもらうのは、私にとってどこか当たり前になっているのも事実だろう。そのせいであろうか、どうしてアフリカに行くのか、いろいろな言葉を尽くしてその理由を説明しても、どこかその場しのぎの答えになりそうになった。そんなとき、等身大のアフリカを伝えるというアフリックの姿勢が、いつもどこかで私の説明のよりどころであり続けてくれたと思う。

また、等身大のアフリカと向き合おうとするアフリックの姿勢は、アフリカへ行き現地を理解する際も、私の支えになってきた。最近になって、長年通い続けたザンビアのほかに、ザンビアに住んでいたアンゴラ出身者がアンゴラへ移動しているのを追って、アンゴラ東部にもいくようになった。そして、ザンビアから移動して久しいアンゴラの人たちに、私の調査話を通じてではあるが、最近のザンビアの日常を伝えることが増えていった。

一方でザンビアへ赴いた際には、アンゴラへ移動していった人たちと現地でどのように過ごしたか、その様子を伝える機会が増えた。16年前、ザンビアへ通い始めた当時、アンゴラが紛争中であったため、同時に知ることができなかった2か国の人びとの日常は、一方の国に住む人びとへ他方の国の等身大の現状を語ることを通じて、私のなかで具体的につながりをもつようになった。また、私自身が、アフリカの紛争後社会の日常を、日本にも伝えられるようにもなった。

アフリックのメンバーが、日本やアフリカで実践してきた活動は、メンバー自身がアフリカでの様々な経験にもとづいているものが多い。しかし、ほかにも、アフリックメンバーから伝わるアフリカ話から様々なことを考え、日本でよりアフリカ理解が深まるよう、日本とアフリカをつなげようとしてきた。こうしたアフリックでは、新しい活動が始まることがあり、また設立時からおこなってきた活動も積み重ねてきた。雨基金は現地で蓄積される豊かな知識や経験をアフリカの人びとと共にいかす活動として充実しているし、メルマガは発行部数を重ねながら、HPでのエッセイやアフリクックのレシピ掲載と連動してアフリカの今を伝えている。シノドスやアフリカ先生、写真展への反響は、次の活動への新しいステップにつながる兆しが期待されている。

日本とアフリカとをつなぐ方法はいくつもある。けれど、メンバーそれぞれできることから等身大のアフリカと向き合おうと邁進するアフリックの活動は、会員一人ひとりの魅力に支えられ、日本とアフリカをつなぎつづけてきた。それは、一方で、いくつもの震災に見舞わられ、時代の変化に流されながらも、それでも前に進もうとする日本の私たち自身と向き合う、ささやかながらしなやかで強い取り組みでもあったのではないかと思う。

私はそんなアフリックに学ぶことが多くある。「日本とアフリカをつなぎ、お世話になったアフリカに恩返しをしたい」という入会の際の思いと平行して、私自身が何気ない日常のなかで向き合えることが何かをいつも突き付けられる。そうして自分のできることは何かと考え続けることこそが、次のアフリックでの活動への原動力になっている。最近、活動にかかわる機会が少なくなってきたが、なぜかアフリックにかかわり続けている。等身大の日本とアフリカをつなぐ未完の活動は、まだまだ大きな可能性を秘めながら、これからも魅力的で楽しいものにちがいないだろう。