生まれくるものに希望を寄せて(会報第12号[2014年度]巻頭言)

松浦 直毅

私がフィールドワーカーとしてささやかに誇れることがあるとすれば、2002 年に調査をはじめて以来、途切れることなく毎年アフリカに行っていることである。この10 数年のあいだには、学位取得や就職などの節目があり、結婚や子どもの誕生など私生活にも変化があったが、かならず毎年どこかの時期 にはアフリカにいた。博士論文執筆の前後に1 年5 ヶ月ほどのブランクがあった以外は、だいたい数ヵ月おきにアフリカを訪れており、渡航回数は年平均2 回ほどになる。アフリカで正月を迎えた年もこれまでに5 回あった。大学で働くようになってからは、長期の渡航は難しくなったが、休業期間を目いっぱ い使って、あいかわらず足しげく通っている。休業期間のたびに出かけるというような生活で、むしろ渡航の機会は以前より増えており、少しでも長く行けるようにと、夕方まで仕事をしてその日の深夜便で出発、朝の便で帰国して昼から大学に赴く、などということもあった。なぜそれほどまでに私は、アフリカに駆り立てられるのだろうか。

それは、現地にはいつも何かの発見があり、行くたびに新しい知見やアイディアが生まれると思うからである。携帯電話の普及によって遠く離れた調査地の人びととも容易に通信できるようになり、インターネットを通じて現地情報をリアルタイムに入手できる時代であるが、それでもなお(もしくは、それだからこそ)、現地に赴くことの価値は薄れていない。現場で見聞きしなければ知ることのできない情報があり、現場にいなければ決して生まれないアイディアがあるからである。さらに面白いことに、どんなことを発見し、何が得られるのかは、行ってみなければわからない。こうして、何かが新しく生まれるという希望に胸をふくらませながら、私はアフリカと関わり続けているのである。

だから、同じようにアフリカと関わるたくさんのメンバーがいるアフリックも、新しい何かが生まれることをいつも私に期待させてくれる。アフリックには、アフリカから帰ってきたばかりの人たちがもたらす情報や逸話があふれており、現地から便りが飛び込んでくることもある。私も、自分がアフリカに行ったときには、現地で仕入れた新鮮な情報を共有したいと思うし、しばらくアフリカから遠ざかっているときには、現地から届く話題を楽しみにし、それに刺激を受けて現地への思いを高ぶらせている。振り返ってみると、アフリックとそのメンバーのおかげで、アフリカに対する私の理解と思いがずいぶん豊かになっているように感じられる。そして、当たり前のように送られてくるメールマガジンや、全国各地でおこなわれる数々のイベント、そしてこの会報も、それを生み出し、継続していくためには、多くのメンバーの情熱と地道な努力があるのだということに改めて気づくのである。

もちろん、私たちが出会う情報は楽しいものばかりではなく、新たに生まれてくるものが人々に不幸をもたらすこともたくさんある。ここ最近を振り返っても、アフリカでの悲しいできごとに胸を痛め、心配を募らせながらニュースを追いかけたことは何度もある。10 数年間の個人的な関わりのなかでは、人の不幸に立ちあう機会もあったし、凄惨な事件を知らされることもあった。現地に行かなければかからない病気で苦しんだ経験も、現地に行かなければ悩む必要のない人間関係にわずらわされた経験も、数えはじめたらきりがない。アフリカのことを思っても日本のことを思っても、これから先どのような困難が私たちを待ち受けているのかという不安は絶えない。

それでもやはり私は、新しい発見の喜びや生まれくるものに対する希望の方に賭けたいと思う。久しぶりに調査地を訪れると、悲しいニュースに否応なくふれることになるが、それよりもずっとたくさん、こどもたちの著しい成長や、結婚、出産などのうれしいニュースが飛び込んでくる。アフリックはというと、毎年数名ずつ新しい会員が入り、つねに新しい情報がもたらされ、新しい企画が生み出され続けている。私もいま、中心になって新たな情報発信事業を企画しているところだが、企画する作業の大変さや実施に対する不安よりも、これまでになかった媒体を使って幅広く情報を発信することによって生まれる、新たな発見とつながりへの期待の方がずっと大きい。新しい何かが生まれることをいつも期待させてくれる人たちと、それを支えているたくさんの人たちに感謝しつつ、私はこれからもアフリカともアフリックとも関わっていきたいと思う。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。