新世代―「育つ・育てる」

大門 碧

新時代だ。

そう思った。ウガンダの首都カンパラに立地するマケレレ大学の一室で、エクステンションが編み込まれた髪の毛を振りながら、くるくると瞳をめぐらして、悩ましそうに、でも楽しそうに話し続ける彼女を見ているとき。彼女が話している内容は、日本が被爆国であるという歴史を抱えつつも、隣国からのプレッシャーを受けている現代世界においてどのように非核の立場をとっていくべきか、その日本の複雑な状況についてである。これはこの女性が数か月後に渡日し日本の大学で研究したいと考えていることである。「いろいろと日本のことを調べたり、話を聞いたりしているうちに疑問がたくさん沸いてきちゃって・・・」「これってものすごく難しい状況なんじゃないかしら、日本にとって。」途切れることのない彼女のおしゃべりを聞きながら、ウガンダで生まれ育ったウガンダ人が、日本の歴史に、その社会に、その文化に関心を持って、日本を調査しにやってくる、そういう時代が確実にやって来ていることに、私の心は興奮で震えていた。

某大手通信教育会社の「21世紀最初の大学生になろう」という広告文句に背中を押されて、大学生になった私は、タンザニアやケニアなどの東アフリカで広く話されているスワヒリ語を専攻し、1週間に5コマ、スワヒリ語の授業を受け、それ以外の多くの時間もサハラ以南のアフリカに関する講義を受けて過ごした。大学2年生の夏休みはスワヒリ語を話してみるために東アフリカを訪問するのが当然の環境のなかで、初めて訪れたのがタンザニア。そこで私は20歳の誕生日を迎えた。それからの20年、アフリカ、特に大学院生のときに調査地としたウガンダでの出会いに自分は育てられてきた。ただ、いつも自分たちはアフリカに焦がれて、もしくはアフリカでなにかできないかと向かう側であり、アフリカの人たちは各自目的をもった私たちを迎え入れながら、チャンスがあれば助けを請う。この関係が逆転することはそうないだろうと思っていた。しかし30歳をとうにすぎて就職した先のザンビアで、その後アフリカのさまざまな場所で、私は新しい時代が来ていることを知ることになった。

「カタカナはなんだか好きになれない。でもひらがなはかわいくて好き。」そんなことを言いながら、ザンビア大学で実施している日本語入門の公開講座に通ってくる人たち。「日本社会は、伝統を残しながらも新しいことを取り込んでいる、このことにとても興味をひかれる。」と勢いこんで話し込んでくれたザンビア人もいた。ザンビア大学で単位が取得できる正課の日本語講座を開始した時、その開講時間帯は平日5日間の毎昼休みの1時間となってしまった。こちらの不安をよそに、毎日学生は集まり続けた。これらの講座を受講したからといって、就職に役立つほどの能力は得られない。そもそも日本語ができれば就職できるという環境もない。お金につながるから、という理由ではなく、私がスワヒリ語を勉強し始めたときのような、外の世界を知ってみたい好奇心、日本語って面白そうという興味・関心のために日本語を習う人がアフリカにいる。このことは新しい発見だった。

そしてアフリカの若者たちへの日本のアニメの人気は想像を超えていた。仕事柄、かつて駐在していたザンビア、そして現在の駐在地であるケニアを含むサハラ以南のアフリカの高校をたずねては、「日本留学を考えてみませんか。」と高校生に向かって話す機会がよくある。そのときに「日本について知っていることはなんですか?」という質問によく返ってくる答えは、日本のアニメのタイトルである。逆にこの学校はアニメについての発言がなかったなと思って説明会を終えると、数名の学生が近づいてきてこそこそと「なんのアニメが好きですか。」とたずねてくれる。今やインターネットをとおして、英語字幕で、ほぼ時差なくアフリカの若者たちが日本のアニメを楽しむ時代になった。現地でよくある全寮制に通う高校生たちは、普段はスマートフォンを学校側が管理していて、週末もしくは長期休暇期間中にしか自由にインターネットにアクセスできない。それでも、日本留学に関する質問に交じって「“くん”と“ちゃん”と“さん”の違いを教えてください。日本の地域ごとにその違いがあったりするのですか。」といった、二度見ならぬ二度聞きしてしまう質問が寄せられるのだ。

タンザニアの高校で日本留学説明会を実施する筆者(2022年)

一度、非常にまじめな日本語講座受講者のザンビア人男性の自宅に招待されたことがある。彼は中国に留学していた時に手に入れたという日本語の教科書を見せてくれた。古本屋で買ったというそれは、中国語で日本語の説明がなされたものだった。その後、彼が見せてくれたのは、彼の一推しのアニメ。全く知らないアニメだった。人間の主人公が、話の途中で感情の表現の一種として全く姿形が変わってしまうアニメで、日本語のアニメなのに私には話の筋でさえ追うことができなかった。新世代を前にした私は、「アニメを日本語の台詞で感じたい。」という彼の日本語学習意欲を圧倒的な時代の変化とともに受け止めた。

このアニメへの関心が高じて日本に留学している学生もいる。高校生のときにインターネットを使って日本語を勉強したというジンバブエ人の男子学生は、渡日後数か月で、日本語でしっかり話せるまでになっていた。ケニアにいる私に、オンラインで話を聞かせてくれた彼は、好きなアニメは「黒子のバスケ」だと言い、ここから敬語の使い方から人生への考え方まですべてを学んだと自負した。日本に留学してなにがうれしいかと言えば漫画の本が手に入ることだとも言いながら、次々と目の前に購入した漫画の単行本を積み上げてくれた。パソコンの画面上から伝わる彼の楽しそうな様子に、改めて、自ら日本に関心を持ち、日本に行って、日本についての学びを深めるアフリカの人がいる、そういう新世代がいる新時代になっているのだと確信した。

♫残酷な天使のように 少年よ 神話になれ♫

突然、横にいる女子学生たちが日本語で歌い始めた。ここはセネガルの首都ダカールに立地する大学構内。彼女たちは、その大学の日本語クラブに所属するメンバーで、日本留学フェアを開催している間、受付を手伝ってもらっていた。セネガルの公用語であるフランス語ができない私は、英語もフランス語も堪能な彼女たちに助けられていた。この日本留学フェアのあとに日本語クラブ主催のイベントが待っているらしく、この歌の練習はどうやらそのためらしい。彼女たちが生まれる前にリリースされた、日本のアニメのヒットソングが今、セネガルにいる彼女たちの青春を彩っている。——日本とアフリカの国々にいる人びとが互いに対等に関心を持って学び合うことができる時代は、まだもう少し先かもしれない。しかし今、その時代へと着々と向かっている最先端のアフリカの新世代の人びとをいかに私たちが、日本社会が、受け入れていくかが試されているときなのだと思う。この新世代たちへの、私からのとりいそぎのアンサーソングは、ケニアの映画館でも上映されていた『ONE PIECE FILM RED』(2022年)から——

♫何度でも 何度でも 言うわ 「私は最強」 「アナタと最強」♫