国際協力はおもしろい(会報第7号[2009年度]巻頭言)

黒崎 龍悟

国際協力に関心がある・かかわっているというと「立派ですね」などといわれることがある。一見、好意的にみえるこの意見は、世間の国際協力というものに対する偏ったイメージをあらわしている。

国際協力へのかかわり方やその活動内容は今では多岐にわたる。かかわる人たちの動機もさまざまで、極端な例をいえば、「成り行きで・・」という場合もあるだろう。だから国際協力にかかわっている人間が崇高な使命感に突き動かされているともかぎらない(もちろんいい加減というわけではない)。また、活動内容についていえば、たとえば橋や道をつくるようなことばかりではなく、「ホワイトバンド」のような啓発に特化した活動もあるし、協力される側の人びととともに活動の内容をじっくり模索するというスタイルもある。常に高い専門性が必要とされるともかぎらない。つまり、国際協力は多くの人に門戸を開いているのである。実際、国際協力は敷居が高い・難しいというような考えはひとまず横においてほしい、誰にでもできる、というように、国際協力を推進する機関・団体が触れ込んだりしているのはよく聞かれる。

国際協力をおおげさにとらえず、より身近にしようとする動きには基本的に賛成だが、そのためには国際協力の「おもしろさ」ということをもう少し前面に出しても良いのではないだろうか。おもしろいなどというと不謹慎に聞こえるかもしれないが、どのような国際協力もまず、相手を知ることからはじまる。使い古された言い方だが、異なる世界を知る・異なる世界に触れることは、ものごとのとらえ方の幅を広げる。利他精神だけで国際協力にかかわると、すぐに疲れてしまいそうだが、知ることの「おもしろさ」をきっかけにしたり、その経験を原動力にすると、国際協力を身近に、長く続けていけるように思う。

「おもしろさ」を重視したかかわりかたは、有効な支援の模索という点でも重要な意味をもつ。アフリック・アフリカのメンバーの多くは、アフリカの農村・都市で、あるいは森林・サバンナで、日本とまったく異なる自然環境・文化・社会で生活するなかで、アフリカの人びととより深く・継続的にかかわっていこうとする原動力を得てきた。その理由はもともとアフリカの抱える問題をどうにかしたいというよりも、アフリカの魅力をより深く知りたい、人に伝えたいということが先に立っていた。そのうえで現地の人びとが抱える問題をじっくり考え、支援するというスタイルを貫いてきた。よく、アフリカは現代社会が抱える問題のデパートのような言い方をされるが、アフリカを最初から「問題ありき」でみてしまうと、そこにあるはずの魅力や独自の発展に向けた潜在力も打ち消され、現地の人びとはたんに支援を待つだけの存在となってしまう。その先にあるのは、「これだけ援助しても発展しないのはアフリカ人が怠惰だからだ」というような、明らかに筋違いの「援助疲れ」だろう。

アフリカ先生や写真展・物品展などのイベントで目指してきたのは、知ることの「おもしろさ」を現地の臨場感とともに伝えることではなかっただろうか。今年はサッカー・ワールドカップがアフリカ大陸で開催されたことで、アフリカをより知ろうとする「アフリカブーム」が起きた。ここ、2、3年でアフリカ先生などの依頼数が目に見えて増加しているのは、こうした背景も手伝っているだろうが、わたしたちの、とにかく普段のアフリカを知ってもらおうという基本姿勢がだんだんとまわりにも認知されつつあると考えてもよいのではないかと思う。

しかし、わたしたちの目指す、アフリカの魅力を地道に伝え続けながらアフリカの問題も支援する、というのはまだまだ世間に対して伝わりにくい部分がある。また、多くの「ブーム」は過ぎれば、もとの状態にまで戻ってしまうことも多い。それでもそこで気後れすることなく、国際協力の「おもしろさ」を伝えることを大事にしながら、「ブーム」の内容を「普通」のものとして定着させるように、アフリック・アフリカらしい息の長い取り組みを進めて行くことが重要なのだろう。