また会う日まで――難民女性たちと月のもの対策を考える
山崎暢子 2014年にわたしは南スーダン難民が多く暮らすウガンダ北部のキャンプで、洗って再利用できる布ナプキンとその取扱説明書、肌着と石鹸を国際NGOが支給する場面に居合わせました(写真1、2、3)。多くの女性が明度の低…
NPO法人「アフリック・アフリカ」のホームページです
山崎暢子 2014年にわたしは南スーダン難民が多く暮らすウガンダ北部のキャンプで、洗って再利用できる布ナプキンとその取扱説明書、肌着と石鹸を国際NGOが支給する場面に居合わせました(写真1、2、3)。多くの女性が明度の低…
浅田 静香 食べることが旅先での楽しみのひとつという人は、きっと珍しくないだろう。わたしも食事がウガンダでの調査中の最大の楽しみだった。ウガンダ人の家庭で初めてごちそうになった食事がこちらの写真。 蒸したバナナに、ラッカ…
大門碧 最初の出産は、日本でだった。当時、ウガンダ人の夫は、彼の祖母の家に身を寄せていた。次第に激しくなってくる陣痛に耐えながら、子宮口が開くのを待っているとき、何度も夫から携帯電話に着信。何度目かのタイミングで、電話に…
浅田 静香 2012年、私が初めて調査のためにウガンダに降り立ったとき、漠然と「地域固有のごみの捨てられ方や利活用」について調査したいと思っていた。かと言って具体的な目星があったわけではなく(いま思えばもっと事前に勉強し…
浅田 静香 東アフリカ・ウガンダの首都カンパラで、私がお世話になっている家庭には、3人の年ごろの娘さんがいる。26歳のナイマ、20歳のシャムザ、そして16歳のジャミーラ(いずれも仮名)。3人は、家事や乳幼児の育児を手伝い…
浅田 静香 2017年夏、私はアメリカ東海岸の街ボルティモアを訪ねた。調査地ウガンダでお世話になっている家族の親戚がアメリカに住んでいると聞き、ステイ先の人より紹介してもらったのだ。赤道直下で緑のバナナ畑と赤い土が広がる…
大門 碧 ザンビア共和国、首都ルサカのとあるスーパー・マーケットで、トウモロコシの粉が、10kg、15kg、さらには25kg、と大きな袋に詰められて、高々と積み上げられている光景に、目を剥いた私と夫。私は米が主食の国から…
浅田 静香 ウガンダ中央部に住む民族ガンダの女性の伝統衣装は「ゴメス(ggomesi)」と呼ばれる。角ばった袖で長い裾のワンピースにゆったりと帯を巻くのが特徴的だ。柄が入った色とりどりのサテンの生地で仕立てたゴメスは、お…
大門 碧 少しややこしい話をする。ウガンダ共和国の首都カンパラで、日常的に話されているガンダ語の音について。ガンダ語の「わたしは」を表す音は「n」(=ン)というひとつの音である。同様に「わたしに」を表す音もまた「n」とい…
大門 碧 湯船から出る直前、娘を肩までお湯につからせて一緒に数を数える。1から10まで。まず日本語で「イチ、ニ・・・」。次にウガンダの言葉、ガンダ語で「エム、ビリ・・・」。最後に英語で「ワン、ツー・・・」。娘の父親はウガ…
大門 碧 推定89歳になるその女性は、8キロ近くある私の娘をかるがると持ち上げ、娘の誕生を神に感謝した。次の瞬間、彼女がかつて産んだ息子が大きくなってから亡くなったことを口にし、「神さまってのは、まったくなんてことをして…
大門 碧 ウガンダの首都、カンパラ。マジョリティであるガンダ民族の文化が息づくこの場所において、一人前の女性ならばできなきゃならないこと。それは「マトケ・アマニーゲをつくれること」。 マトケ・アマニーゲとは、ガンダ人たち…
大門 碧 ちょっとは腰が動かせないとやっていけません、ここウガンダの首都、カンパラでは。 夜になると、あちこちのバーやレストランから音楽が鳴り響く。ステージでは若者たちがアメリカのヒップホップやR&Bに合わせて踊っている…
大門 碧 仲良くなったホテルの若い掃除婦の2人を誘い出す。彼女たちは私の宿泊するホテルに住み込みで働いているので、帰りが夜遅くになっても一緒に帰ってこれるから安全だろう。 向かうのは、街の中心部にあるレストランだ。若い子…
大門 碧 レストランのステージ裏、夜中1時。 あ。 さっきまで、ステージで美しく舞っていた女性が座り込み、自分の「髪型」を崩しにかかっていた。前頭部は、ストレートパーマをあてた髪をワックスでびっちりかため、後頭部にはエク…
大門 碧 鳴り響く音楽。マイク片手にはずむ若者たち。ステージへと向かう人びと。手にはコインか紙幣、もう片方の手にはビール瓶、体をゆらしながら、笑顔で、男も、女も。時には子供も。 ウガンダの首都、カンパラ。夜中の盛り場の光…