ちょっとは腰が動かせないとやっていけません、ここウガンダの首都、カンパラでは。
夜になると、あちこちのバーやレストランから音楽が鳴り響く。ステージでは若者たちがアメリカのヒップホップやR&Bに合わせて踊っている。プロモーション・ビデオの中でアメリカのミュージシャンが見せるクールなステップを、難なくコピーしているかれら。ただ、なんだか少し違う。腰の振りが目立つのだ。腰をぐるっと大きくまわす、小さく左右に振る、今度は右と左2回ずつ振る、腰を下ろして振る、立ち上がって振る。振り付けのほとんどに腰の振りが入っているのだ。
ちょっとは腰が動かせないとやっていけません、ここカンパラでは。
朝は、各家庭のラジオやテレビから盛んに音楽が鳴り響く。アメリカの音楽はもちろんだが、ここ10年ばかりのあいだに、地元のミュージシャンたちも盛んにプロモーション・ビデオをつくってテレビで放映をするようになった。そのプロモーション・ビデオでは、スレンダーなスタイルの若者たちが激しく踊る一方で、かなり恰幅のいい女性が、ゆらゆらと滑らかに腰を動かしている姿が見受けられる。「偉大」とも形容できる大きなお尻が、音楽に合わせて、クックッ、っと細かく動くのには、感嘆する。
ちょっとは腰が動かせないとやっていけません、ここカンパラでは。
昼過ぎ、小学校に「トラディッショナル・ダンス」を習いに行った。ドラムに合わせて、ウガンダの20を超える民族がそれぞれ培ってきた踊りを子どもたちは、見せてくれる。腕を激しく広げながら足を強く踏みしめて上下に跳ねる動きがある一方、腰の振りもしっかり存在する。立派に成熟した身体をもつ少女から、平べったい胸を張った女の子まで、上半身は停止させたまま、腰だけを動かすという技を見せ付ける。背がのびるのはまだまだこれからな生意気盛りの男の子も、私に腰をしっかり震わせることを教えてくれる。
ちょっとは腰が動かせないとやっていけません、ここカンパラでは。
夕方、近所の子どもたちが飴をねだりにくる。「おどってくれたら、あげる。」と言うと、盛んに子ども達は腰をひねり出す。飴をあげても、「おどってあげるね」とまだ動き続ける。「じゃあ、私も」と腰を左右に振る。子ども達が笑う。料理に忙しい子ども達のママがちらっと私たちを見て、「それよ、それ!」とはやし立てる。
ちょっとは腰が動かせないとやっていけません、ここカンパラでは。
夜半過ぎ、ふたたび盛り場のステージ。「ダーティ・ダンス」と呼ばれるパフォーマンスが披露されている。ジャマイカのテンポの早いダンスホール音楽に合わせて、女性パフォーマーの腰に男性パフォーマーの腰がガンガンと激しくぶつかる。表現されているのは性行為。カンパラで日常的に使われている民族語、ガンダ語で「踊る」は「性行為」の意味も持つことを思い出す。「ダーティ」と名づけている演目に、客は男女ともおおはしゃぎで魅入り、チップをパフォーマーに渡している。
ウガンダにキリスト教の宣教師たちがやってきて、民族舞踊が野蛮だと禁止してから100年ばかり経った。現在、キリスト教だけでなくアメリカを代表とする外国の文化は、しっかりとウガンダにも入りこんでいる。アメリカ映画を楽しく鑑賞しながら、クラブで踊るシーンになると「白人って踊りを知らないわよね」と言い、プロモーション・ビデオでインドやアフリカを意識したアメリカのミュージシャンが腰を振る様子を見て「この人は踊れるわね」と評する、カンパラの人びと。外の文化と自分たちの文化が同時にかれらの中に生きていることを感じる。
「日本の踊りを見せてよ。」と迫られ、うっと、つまる。私の身体に「日本」は生きているのだろうか。腰が、ぐぐっと動く。私にはもう、「カンパラ」が入ってしまっている。