『人類の深奥に秘められた記憶』(La plus secrète mémoire des hommes)モアメド・ムブガル・サール=著、野崎歓=訳

池邉智基

1938年、セネガル出身の作家T・C・エリマンによって書かれたデビュー作『人でなしの迷宮』は、フランスで出版されるやいなや、文学界に大きな衝撃を与えた。無名の作家ながら「黒いランボーの誕生か」と言わしめるほどの評価をもって受け入れられた一方で、作者がアフリカ人であることで様々な疑いの目も向けられた。「本当にアフリカ人がこんな作品を書けるのか」、「ゴーストライターがいるのではないか」といった疑念に加えて、既存の作品からの剽窃を指摘する批評まであらわれるという騒ぎになった。『人でなしの迷宮』は発売中止となり、作者のT・C・エリマンも行方知れずとなった。数十年経った現代、偶然にも『人でなしの迷宮』を読んでしまったセネガル人作家ジェガーヌ・ファイ(※)は、作品の強い魅力に秘められた背景を探る旅に出る。

本書は、フランスの著名な文学賞であるゴンクール賞を受賞した作品である。既刊の邦訳作品『純粋な人間たち』ではセネガル社会の同性愛者差別の問題を扱い、この作品もまた大きな衝撃を与えた。今回の作品は、忘れられたセネガル出身作家の作品がきっかけとなって、フランスの植民地支配を受けてきたセネガルに積み重ねられた歴史、その場所で生まれ育った人びとの生と苦悩を描きながら、「われわれにとって文学とは何か」という壮大な問いの試みと言えるだろう。主人公がT・C・エリマンの足跡を辿る中で、本書の舞台は現代のパリやアムステルダム、ダカール、そして植民地期のセネガル、本土フランスなど、時代を行き来しながら、いくつもの個人史、手紙や日記、インタビュー記事の内容など、複数の時空間で、さまざまな形態のモノローグが混じり合っていく。

『人でなしの迷宮』への謂れなき批難は、アフリカ出身の作家にどのような眼差しが向けられてきたかという点にも通ずる。現代のアフリカ出身作家が自分たちの出自を語ることの難しさとして、常に好気な目を向けられる「異なる存在」でありながら、同時に、理解可能な人間としての同一性を認められるという点にある。植民地主義がもたらした「白人」の視点は、セネガルにおいても視点や生き方を複数化させてきた。セネガルの農村部では、伝統的なイスラーム教育を受けつつ、農業や牧畜などに従事してきた人びとの生活があった。だが20世紀初頭には、フランス語教育を受けて植民地都市で「白人」に同化していき、果ては「祖国」フランスのために「セネガル歩兵」として従軍するような生の在り方もまた存在してきた。いまも植民地主義が与えた影響が消えることはない。セネガルでは経済的な苦難を理由に、ヨーロッパへと不法入国し移民として暮らそうと試みる若者は跡を絶たない。しかし、パリのような街で「アフリカ人」として生きることには、同化と他者化の論理が常に眼前にある。フランスの大学留学を果たすようなエリートたちの一部は、パリの生活にも完全には同化できず、故郷であるアフリカの文化や価値観にも同化しきれず、帰る場所を失った板挟みの状態を生んでいる。

そのような中で、作家はなぜ書くのか。作品はいかに理解できるのか。単純な問いかけだが、容易に答えを出すことはできない。結局のところ、そうした問いを持ち出すことは、幻想を追い求めるような無意味な答えしか出せないかもしれない。『人でなしの迷宮』というテクストはそのような問いを容赦なく読み手に投げかけていく。そして、T・C・エリマンの個人史的な記録の中から一人称複数形の「われわれ」の過去へと歴史的パースペクティブの深淵へと誘い、現代の作家にとって自己が置かれた地点とアイデンティティを再認識させる強い力を持つものだった。一冊の小説を巡る旅を描いた本書は、セネガルやフランスといった地点を超えて、文学にとりつかれた人間たちへ、そして同時代の状況に翻弄された人間たちへ、何を残していくのかを問いかけ続けていくだろう。

 

※:些末な点であるが、固有名とウォロフ語のカタカナ表記にいくつか指摘しておきたい。

まず主人公の名前であるジェガーヌは、通常Dieganeと表記され、「ジェガン」が最もふさわしいカタカナ表記である。セネガルの固有名は基本的にフランス語の表記法に従うことになっており、たとえば「ウスマン」という人名であればOusmaneと表記されているように、neで終わる音は「ヌ」ではなく「ン」となる。

また、著者名の「ムブガル」は、「ンブガル」の誤りである。基本的にラテン文字表記では、bやpなどの子音の前に「ン」の音が来る際には、mとするという規則がある。本書ではウォロフ語表現がしばしば挿入されているが、それらのカタカナ表記においても、「ン」とすべき点が「ム」となっている(例えば、p. 148「ムベッド・ミ、ムベッドゥ・ブウル・ラ」は「ンベッド・ミ、ンベッドゥ・ブール・ラ」にするのが正しい)。

そして、ウォロフ語書記法では、ハ行の音は子音としてxを用いる。しばしば子音のみで、喉の奥から息を吐き出すような音を表現する音としてxが音写される。しかし、本書(p. 341)で「〈ドクス・ムバ・デ〉(歩むか、さもなくば、滅ぶか)、〈ナクストゥ・ワラ・ファアトゥ〉(要求するか、さもなくば、くたばるか)」とカタカナ表記された箇所があり、これはxの音を「クス」と英語やフランス語の音声表記に従っていると思われる。この部分に関しては、「ドホ」や「ナフトゥ」とすべきである。ただし、こうした表記の問題については本書の翻訳の質を問うものではない。

書誌情報

出版社:集英社

発売日:2023年10月26日

言語:日本語

単行本:480ページ

ISBN-10:4087735257

ISBN-13:978-4087735257

商品ページ:https://amzn.to/45SFwQu