推定89歳になるその女性は、8キロ近くある私の娘をかるがると持ち上げ、娘の誕生を神に感謝した。次の瞬間、彼女がかつて産んだ息子が大きくなってから亡くなったことを口にし、「神さまってのは、まったくなんてことをしてくれたんだ」とつぶやいた。娘をお披露目に来た身としては、なんと返してよいかわからなかった。
ウガンダ共和国の地方都市から車で二十分ほどの村で育った男性とのあいだに、2012年末、私は娘をもうけた。娘の父親を育てたこの力持ちの老女、ジャッジャ(地元の言葉、ガンダ語で「祖父母、老人、尊敬する人」の意味)は、オレンジ色の瓦屋根にソーラーパネルがきらりと光る大きな家に1人きりで住んでいる。彼女の寝室は玄関から入って一番奥の部屋で、そこには誰にも入らせない。服を洗ったり着替えたりすることをかたくなにおこなわない頑固もののジャッジャを見守っているのは、隣の納屋に住んでいる別の地方村から出稼ぎにやってきた男性である。家賃を払わないかわりにその彼がいつもジャッジャの食事を用意している。
ジャッジャの家のまわりに広がるバナナ畑の中には、墓地がある。灰色のコンクリートでかためられた長方形が並び、そのうえにそれぞれ十字架が立っている。ジャッジャの夫が眠っている。ジャッジャとは別の女性が産んだ夫の息子も眠っている。私の夫の母親も眠っている。ジャッジャのぶつぶつには閉口するけれど、バナナの葉のあいだから静かに陽が射している墓地を見て、ここで眠るのも悪くないだろうなどと勝手に思ったりした。
2度目のジャッジャ宅への訪問に際し、ジャッジャが元気なうちにという夫の希望で、私と娘を村の親族たちに紹介する小さなパーティを開催することにした。しかしジャッジャは「たくさんの人が来ても自分にはあげる食べ物がない」と何度も抵抗を続けたそうだ。「自分たちで食べ物を用意するから」と繰り返す夫の言葉になんとか最後は納得してくれたとのこと。それでもやっぱりジャッジャはいつものようにぶつぶつとつぶやいていた。普段は開けない表玄関の扉がちゃんと閉じられたかを心配するつぶやきを繰り返し、夜に私が娘と外に出るのを見て、「外は寒いのに、暗いのに」とぶつぶつ。無事にパーティが終了した夕方、帰路につく際、別れの挨拶にいくと、「え〜どうやって帰るの、遠くに帰るの、カンパラに帰るの、まあまあ」とまた早口でつぶやいた。
バナナ畑の中にある墓地、そこに入れなかった人がいた。お祝いの席だったけれど、ぶつぶつとつぶやいたジャッジャの悲しみの言葉が聞き取れて、私はたぶんよかったのだ。母になるための覚悟をひとつさせられたのだと思うのだ。
※1 本エッセイででてくるバナナ(「マトケ」と呼ばれる)は、ウガンダで主に主食として火を通して食べられており、日本で一般的に生食されている甘みのあるバナナとは品種や利用法が異なる。