3人娘とミシン(ウガンダ)

浅田 静香

東アフリカ・ウガンダの首都カンパラで、私がお世話になっている家庭には、3人の年ごろの娘さんがいる。26歳のナイマ、20歳のシャムザ、そして16歳のジャミーラ(いずれも仮名)。3人は、家事や乳幼児の育児を手伝いつつ、2018年2月から洋裁学校に通いはじめた。
ナイマは世帯主である夫人(36歳)の末の妹で、夫人が今の家に引っ越す前から、夫人や実家の両親の家事・育児を手伝ってきた。途中まで小学校へ通ったが、P7(ウガンダの小学校の卒業試験)は受験していない。シャムザは、夫人の育ての親であり、現在居住している家のもとの所有者であった夫人の叔母(2015年に逝去)の親戚だ。2016年1月から、家事を手伝うためにこの家に住みこみはじめた。ジャミーラは夫人と2016年に結婚した主人(38歳)の前妻との娘で、2017年の小学校の長期休暇の際に滞在したのを機に、私のステイ先に住んで、そこから通学するようになった。彼女は2017年の11月にP7を受験し、小学校を卒業した。

食事をとる3人娘

この華やかで賑やかな家庭に、居候としてステイさせてもらっていると、年頃の娘さんならではの「親子」ゲンカと遭遇することがある。彼女たちが洋裁学校に通いはじめたことにもつながるエピソードをふたつ、紹介したい。

2016年3月のある朝、まだシャムザが住みはじめて間もないころ、シャムザに対して夫婦がなにやら説教しているところに、私は遭遇した。シャムザは、最初の数週間は積極的に家の仕事に取り組んでいたけれど、しだいに仕事に手を抜くようになっていた。朝は遅くまで寝ていて、指示を受けるまで掃除や料理を始めず、夜はずっと大声で誰かと電話で話していて、この説教の前にも数回、夫人から注意を受けていた。夫人から厳しく注意される回数が重なるうちに、ここで家事を手伝うことが嫌になった彼女は、「彼氏と結婚したい」と言いだした。この説教の前日、娘の結婚願望を聞いたシャムザの両親が訪ねてきて、夫婦と話し合ったところだった。シャムザの両親は、彼氏がどのような人かすでに聞き込みをしていて、まだ22歳と若く、遊び盛りな年ごろの彼氏との結婚に大反対だった。
夫人は、シャムザに「手に職をつけないと結婚できないわよ」と説いた。家のなかの切り盛りだけでなく、自分で稼げるような仕事を身に着けていないと、結婚しても苦労する、と。その理由は、(1)結婚がうまくいかなくても、一人で生きていけるように。子どもが産まれてから結婚生活がうまくいかなくなっても、を一人で育てていけるように。(2)最近は、男性が一人で稼いで、家族が食べていくのは難しいため、女性にも稼ぎ手になってほしいという男性が増えているから、というものであった。「あなたに将来苦労してほしくないから、結婚する前に、仕事につながるような技能を身につけなさい」と夫人は説得していた。数日、夜な夜なシャムザの泣き声が隣の部屋から聞こえてくる日が続いたが、シャムザは「もう一度この家の仕事を頑張らせてほしい」と夫婦に宣言し、精力的に家事を手伝うようになった。

滞在先の家庭の庭先

2017年10月下旬、P7の試験まで2週間前を切ったころ、ジャミーラが2日つづけて学校に行かない日があった。学費を滞納しているため、未払い分の準備ができるまで、学校に来ないようにと、先生から請求書とともに通告されたそうだ。しかし、父親は支払いを拒否していた。
単に手元に現金がないだけかと思いきや、夫人によると、私が日本に帰国している間、ジャミーラにボーイフレンドができたことに対し、父親は激怒し、それ以来、学費の支払いを拒否していた。もともと、ジャミーラの父は一般的なウガンダ人よりも厳格なムスリムで、娘が近所のバーから週末に大音量で漏れてくる音楽に合わせて踊ったり、ひざを出すスカートやズボンをはいたりすることを許していなかった。そんな父が、娘に仲のいい男友達ができたことを聞いて「男と遊ぶために学校にやっているんじゃない!」と激しく怒り狂ったという。夫人も、「今はP7の試験前で大事な時だから、学業に専念してほしい。学校を卒業し仕事を身に着けてから、男性とお付き合いしなさい」とジャミーラを説得した。二人は別れ、彼女はおおいに反省して、父親に謝罪したそうだ。夫人も、父と娘の間を取り持ち、父に学費を払うよう説得したが、頑固な父親は譲らず…という状況だったという。
大事な試験の2週間前に学校に行って勉強できないという焦りや不安は、私にも遠い過去に記憶があり、見るに耐えかねた私は、父親がいずれ返すという約束で、ジャミーラの学費を立替えた。翌日から彼女は学校に通うことができ、無事にP7の試験をパスした(そして父親はジャミーラの学費を、私の帰国前にすべて返済してくれた)。

私のステイ先の夫人は、育ての親である叔母に、中学校を卒業するまで学校に通わせてもらった。英語の先生やパーティーのデコレーションスタッフとしての仕事に不定期に従事し、家計を稼いでいる。彼女は女子も教育や職業訓練を受け、自分で稼いでいかないといけないと考えている。カンパラには、アフリカンドレスをはじめ、服をオーダーメイドできる仕立屋がたくさんあり、人びとは日常的に利用している。洋裁は女性にとって身近で参入しやすい職業のひとつだ。夫人は、3人の娘さんたちの洋裁学校の学費を、自分が払うと意気込んでいた。

2018年2月、私が2か月ぶりにウガンダに戻ると、家には3台の真新しいミシンが並んでいた。3人の娘さんたちは、新しい学校生活を楽しんでいるようだった。私がお土産に買ってきた大判のアフリカプリントの布は、次の日には素敵なロングスカートに変身していた。彼女たちが手に職を身に着け、活躍する日が待ち遠しい。