きみはヒーロー

大門碧

最初の出産は、日本でだった。当時、ウガンダ人の夫は、彼の祖母の家に身を寄せていた。次第に激しくなってくる陣痛に耐えながら、子宮口が開くのを待っているとき、何度も夫から携帯電話に着信。何度目かのタイミングで、電話に出て「今、産んでる。」とつぶやいて切った。出産後、電話口で「産んだ。」と伝えたら、うおおおおおおおおという叫び声が上がって切れた。子どもの性別を聞かれることもなかった。しばらくして、再び電話があり、夫は「きみはぼくのomuziroだ。わかる?heroってこと。」と言った。omuziroは彼の母語、ガンダ語で、それぞれのクラン(血縁はたどれないが同じ親族として意識している集団)が敬う対象とするトーテム、象徴の意味である。omuziroは動物であることが多いが、その場合、その集団はomuziroであるその動物を食べることはない。私がomuziroだと言う彼の伝えたいことはもうひとつよくわからない。英語に訳されたheroというのもわかるようなわからないような。「Hero」と言えば、ウガンダの首都、カンパラで調査中によく耳にしたスペイン出身の歌手エンリケ・イグレシアスの『Hero』という歌。「I can be your hero baby!(僕は君の英雄になれるよ!)」と恋人のために命を張る姿が描かれるミュージック・ビデオ。初めての出産日、私は気づかぬ間にヒーローに昇格したらしかった。

しかし、そのヒーローも真っ青の家事育児分担問題がここに。「いいか、俺はこのままじゃ、ウガンダに戻れない。お前がちゃんと仕事のあと休めるってわかってからじゃないと、戻れない。」うるさいなあ、と思いながら、私は聞いていた。かつて私の父の前で「いつか自分が稼いで、家族を養えるようにします。」と書いた手紙を音読した夫は、それからもことあるごとに、男として、父として、自身に稼ぎがないのは辛いと言い続けていた。早く気を楽にしてほしいという思いで、ケニアの首都ナイロビで働く私が、夫をウガンダへ送り出したのは数か月前。身を立てる準備を始めてもらうことにしたのだ。前回夫がウガンダに滞在中、それまでもメイドとして家事と育児を手伝ってくれていたケニア人の女性が、私と子どもたちと一緒に寝泊まりするようになったが、夫がケニアに戻ってくる直前には通いで働いてもらうようになっていた。そのことを夫は住んでいるアパートの守衛から聞き出したらしく怒っていた。泊まることをやめたいと言い出したのはメイドなのか、私なのかと問い詰め、私が「自分の仕事が少し楽になってきたタイミングだったし。」と答えたら「お前の仕事がどうとかは関係ない、メイドは自分の仕事を全うすべきなのだ。」と語気を強める。「彼女にも小さい子どもがいるし。」と言ったら、「仕事は仕事だ、代わりはいくらでもいるのだ。彼女にはもっと真剣になってもらわなくては困る。」とさらに怒る。一方の私は、夫が私と共に家にいるときに、私ばっかりが家事や育児をする現状を思い返して息苦しくなる。

  メイドの手を借りてナイロビ国立公園でサファリウォーク

そもそも、だ。家事と育児は、誰がすべきなのか。今まで目にしてきたウガンダの首都のカンパラの家庭では、日本と同じく女性がその全般を担っていた。ただ、それは女性というだけであって、妻や親であるかどうかは、状況に寄っていた。つまり仕事をしている女性が妻/母の場合は、別の女性に任せるということはよく起こっていた。また、一時的に近所に子どもたちを預けたり、長期的に親族に子どもたちを預けたりすることもよく見かけた。幼い子どもが4人いる女性が、2年ほど海外にメイドとして働きに出た時は驚いた。両親を亡くしている彼女は、それまでも基本的に子は祖母のもとに預けて働いており、下の子を出産したときは、上の子たちが彼女の手伝いをするかのように、祖母の家から遊びに来ていた。その彼女の祖母の家に、彼女の代わりにクリスマスプレゼントを届けたことがある。そこでは、彼女の子どもたちをふくむ、たくさんの子どもたちが私を迎えてくれた。自分の子は自分の手元において面倒を見ることが親としての責務だし、子にとっても自分にとっても幸せだろう、という考えは、疑ってもよいものなのだろうか、とちらっと思った。

ウガンダに限らず、自分が暮らしたアフリカで育児に関して気づくことは、子どもと大人の男性の距離が近いように感じる点だ。乗り合いバスで客の呼び込みと運賃を集める役目を担うコンダクターの男性が躊躇なく乗客の子どもを抱きかかえることをはじめ、大人の男性と子どもの組み合わせは意外によく見る光景である。夫の男性の友人たちは、うちの幼子を当たり前のように自分の膝に乗せて、長話に興じる。私がカンパラで世話になった長屋の大家の男性は、1人暮らしだったが、彼の部屋には近所の子どもたちが入り浸っていた。一度驚いたのは出産したばかりのウガンダ人の女性を、ウガンダ人の男性と一緒にたずねたとき、私がその女性と話しているうちに、その男性が生まれて数か月の赤子をさらりと沐浴させたことだ。何度か出産前後にその女性の手伝いに訪ね、彼女の夫にも変な勘繰りを入れられたんだという笑い話を耳にしていたとはいえ、その自然な沐浴の様子に目を奪われた。日本では「母親学級」と呼ばれることの多い出産前研修で、人形を使って練習させられるほどの代物を、遊びに行った友人宅でさらっと自分でする男性などいるだろうか。私の夫もまた、「パパがつくった弁当、飴が入ってた~」という子どもらのぼやきはさておき、おむつ替え、風呂入れ、寝かしつけまで、できないことはない。そして近所の子どもたちのことは私より詳しい。でも私が一緒にいると夫の身体はとたんに動かなくなる。そして私の身体は、怒りを内に秘めながらも動いてしまうのだ。

自分ばっかりが家の中で動くのはおかしいと思い、これをやっておいてくれと頼むと、「俺はハウスボーイじゃないのだ。」との返し。では私はあなたのメイドなのか。最後の手段は、体調が悪いと言って、わざと身体を横たえることで、夫を動かす方法。しかし、この手法に私がどこか罪悪感を抱くという、おかしな日々。夫も家事育児の大変さは実感しているので、離れているときは「次は全部自分がやる、君は何もやらなくていい。」と言ってしまい、私を失望させ続ける。私も思わず手を貸してしまう。自分がやったほうが早いと思ってしまう。そしてさらには家事育児をメイドに任せている自分は、親として失格なのではないかという気がしてしまう。

今度は夫と子どもたちとナイロビ国立公園のサファリウォークへ

ナイロビでは「マタトゥ」と呼ばれる、庶民の足、乗り合いバス。そのコンダクターが女性であるのを発見したとき、思わず「女性だ!」とつぶやいてしまった。それを横で聞いていたケニア人の男性タクシー運転手は、「最近じゃ多いよ。さっき彼女は警察と言い合いもしてたしね。大きいバスの運転手が女性のときだってこの頃ある。こういう言い回しがある。男性ができることは女性がよりうまくやれる、ってね。」とカラカラと笑った。10 年前、カンパラで見かけるコンダクターは全員男性だった。そうか、もう時が経っているのだ。確かに、男性ができることは、女性にだってできるのだ。そして、女性ができることは、男性にもできるのだ。

夫よ、あの日、私はあなたのヒーローになった。確かに身体を張った。身体的にはあなたにできない尊い役目を果たしたかもしれない。しかし、夫よ、本当はもっといろんなかたちで、誰もが誰かのヒーローになれるんじゃないだろうか。金を稼ぐことだけが男性がヒーローになる道ではないはずだ。あなたは私との衝突を繰り返すなかで、私のヒーローになっていると知ってほしい。毎晩のように「子どもたちの面倒を見てくれてありがとう。」と電話口で言う夫。私は「元気でいてくれてありがとう。」と返す。たぶん、私たちは男女に課せられた役割から簡単に自由になれることはない。ただ、お互いの心地よいあり方を、自分たちの家族のかたちをジタバタしながら探っていくしかないのだ。互いが互いのヒーローであることを認めながら。