『妖術と共にあること—カメルーンの農耕民バクウェレの民族誌』山口亮太著、明石書店、2022年

紹介者:山口 亮太

カメルーンの東南部の国境地域には、バクウェレという人びとが住んでいる。本書は、カメルーンの人びとの一風変わった妖術である「エリエーブ」を焦点として、彼らが思い描く人間とはどのようなものであるかを描き出そうとしたものである。

「妖術」という言葉を見たとき、どんなことを思い浮かべるだろう。何だかよく分からないけど人びとを惑わす妖しげな術という、字面通りの印象を抱くかもしれない。もしくは、人類学的な議論を少しでも聞いたことがある人は、それが呪い(のろい)という言葉を言い換えた用語であることに思い至るかもしれない。つまり、憎い相手を不思議な力で呪って病気にしたり、死に至らしめたりするということである。

バクウェレたちが語るエリエーブにも、このような側面があることは間違いない。ところが、誰かを呪った、誰かに呪われたという話に終始しないところがエリエーブの面白いところである。

エリエーブは持ち主の腹の中にあって、それ自体が独自の意思を持っていて、ときどき持ち主に命令してくる。そうすると、持ち主はその命令に逆らうことができず、気がついたらその通りに振る舞ってしまっている。

エリエーブは、生後間もない頃に、どこかの誰かからウイルスに感染するようにして獲得する。エリエーブが身体の中に入ると、持ち主の身体や生命と結びつき、引き離すことも消し去ることもできなくなる。

こういった、持ち主の主体性や意思、そして身体と不可分であるという話に着目すると、それと同時にエリエーブは人びとの間を巡るものでもあることが見えてくる。そして、実はエリエーブが巡っているのは人びとの間だけではない。エリエーブは、集落に住む人間と、彼ら取り囲む熱帯林に生息する動物たちとの間をも巡っているのである。このような、エリエーブの動きからは、ヒトと動物にまたがる巨大なライフサイクルが浮かび上がってくる。では、そのようなライフサイクルを生きる人間とは、どのような存在であるのか。そして、バクウェレの人びとにとって、エリエーブと共にあるとは、どのようなことを意味するのか。

本書を書いた意図は、人類学的な妖術研究の常識である、人びとの間のコンフリクトに根ざしており、それに基づいて他者に不運をもたらすものという大前提を一端脇に置いて、違う確度から眺めてみようというものであった。そうした作業を通じてエリエーブについて突き詰めて考えていくと、ままならない異物を内包した自己、他者を通じて形成される自己という、より一般的な問題に行き当たることが分かった。この点については議論が尽くせたとは思わないが、本書を手に取ってくださった皆さんと一緒に考えてみたい。

出版社             明石書店
ISBN               9784750353388
判型・ページ数           A5・260ページ
出版年月日      2022/02/16

目次 *アマゾンなどでより詳細な目次が見られます。

はじめに
第1章 「妖術=呪い」を解きほぐす
1 カメルーンの農耕民バクウェレの一風変わった妖術・エリエーブ
2 本書の目的
3 本書の構成
第2章 熱帯林に住むバクウェレ
1 長い長いフィールドへの道のり
2 跨境地帯を生きる人びと
3 バクウェレの親族関係
第3章 エリエーブを持つ者の身体――その獲得と操作
1 エリエーブの外延を探る
2 拡張される身体と知覚
3 どのような人物がエリエーブを持つのか
第4章 病いと自己の語り方
1 病対処と物語
2 病対処のいろは
3 病因追究により複数化する自己――足が動かなくなった女性の事例
4 際限のない複数化――ジィの死
5 エリエーブとの向き合い方――大酒飲みの末路
6 自己の複数性と開放性
第5章 誰が道路を止めたのか――道路修復工事に見るエリエーブと発展
1 エリエーブの道具的側面と「発展」
2 事件の背景
3 道路修復工事とエリエーブ騒動
4 考察――新しいエリエーブが姿を現すとき
第6章 ヒトと動物の連環
1 バクウェレにおけるヒト――動物関係の諸相
2 動物変身譚の類型
3 動物転生譚
4 人間と動物にまたがるライフサイクル
5 流転するエリエーブ
第7章 エリエーブと共にあること
1 エリエーブの存在論
2 不運とコンフリクトの外へ
3 エリエーブが照射するわれわれのあり方
あとがき
文献リスト
索引