岩井雪乃
今日は曇っていて、月もなく真っ暗な夜だ。そこに15人の男たちが集まっている。彼らは、大岩(コピエ)の上に登り、セレンゲティ平原に向かって耳を澄ましている。普段はおしゃべり好きな彼らだが、今は誰も話さない。懐中電灯の明かりも消して、ここに人間がいるとはわからないようにしている。足音を立てないように、身じろぎもせずに立っている。
今、彼らは、ゾウを「聴いている」のだ。
パキポキ、ガサガサ・・・遠くから、かすかに枝が折れる音や木の葉がこすれる音がする。ゾウだ!村まで500mほどの谷沿いの薮林の中にいるようだ。
「2頭だな。昨日と同じゾウだ。またやってきた。村の方に近づいてきている」
リーダーのチョリが言う。彼らはゾウの動きを音で把握している。
一方、私は、どんなに耳をすましてもゾウの音は聴き取れない。この男たちは、生まれた時からこの環境で生活し、農耕、家畜の放牧、水くみ、薪の採集など、土地に働きかけながら暮らしてきた。彼らは、毎日の生活の中で、多様な野生動物と出会いながら暮らし、その生態を熟知している。だからこそ、ゾウが動くかすかな音が聴き取れるのだ。
ここは、タンザニアのセレンゲティ県ミセケ村、セレンゲティ国立公園に隣接した地域。男たちは、ゾウ追い払い隊のメンバーだ。村の畑を守るために、作物を食べに来るゾウを毎晩追い払っている。ゾウの追い払いは、ゾウに逆襲され、殺されてしまう可能性もあり、たいへん危険な活動だ。それでも彼らは、毎晩集まって、ゾウを見張っている。そうしなければ、農民である彼らは生活していけない。家族の食糧も、子どもを学校に行かせる学費も、畑の作物から得ている。これを食べられてしまったら、一家全員が困窮した生活を余儀なくされる。このエッセイでは、具体的なパトロールと追い払いの様子を紹介する。
村の畑のトウモロコシを食べるゾウ。追い払おうとしている村人が背後に見える。爆音機を鳴らして村人が追い払おうとしたが、近くの茂みの中に逃げこんで、居座ってしまった
ゾウパトロールで畑を守る
追い払い隊メンバーは、日暮れ前の17時ごろになると、それぞれ担当の見張り場に集合する。ミセケ村は8kmが動物保護区と境界を接しており、2kmおきに3カ所の見張り場をつくっている。日が暮れる前、まだ明るく遠くまで見通せるうちに、まずは目視でゾウが村に近づいてきていないか探す。彼らは、私が双眼鏡を使ってやっと見つけられる動物を、裸眼で見つけることができる。明るいうちにゾウを見つけられると、パトロールの危険性は格段に低くなる。なぜなら、小さな子どもを連れて神経質になっている母ゾウや、やんちゃなオスゾウなどの危険な個体がいるかどうかを把握することができるからだ。群れが何頭いるか、全体の頭数の把握も重要だ。
明るい時にゾウがいなかった場合は、日が暮れて暗闇に乗じて村にはいってくる群れを探す。これが、冒頭で紹介した「ゾウを聴く」である。夜になってしまうと、10m先にいるゾウでさえ発見することは困難になる。ゾウは賢いので、人間が近づいてくる気配や音を察知すると、立ち止まってじっとしてやり過ごそうとするのだ。人間側は、よほど注意していないと、ゾウを見つけることはできない。研ぎすまされた感覚をもつ追い払いメンバーでさえ、見つけるのは難しいという。動物の感覚に人間は到底およばない。そのため、日が沈んで暗くなってからは、ゾウを探す時は、立ち止まって静かにして「ゾウを聴く」のだ。すると、ゾウの活動音が聞こえてくる。枝を踏む足音、体が木にさわって葉がこすれる音、葉を食べる音、食べる際に枝が折れる音、クルルルルという鳴き声など、数百メートル先にいても聞こえてくる。それらの音から何頭いるか、だいたいわかるという。彼らは私なんかでは聴き取れない、かすかなゾウの音を聞くことができる。この力がなければ、安全に追い払いを遂行することはできない。ゾウが思いがけない場所にいて、意図せず近づいてしまって襲われることは、メンバーたちが細心の注意を払っていても、起こることがあるのだ。
夜は寒いので、コピエに寝そべって暖をとりながら聴くこともある。アフリカ大陸内陸部の夜は 10℃以下に冷え込むこともある。そんなとき、日中の太陽の熱を蓄えたコピエは、夜も温かく体を温めてくれる。
ゾウを「聴いて」作戦を立てる
ゾウを聴いて、ゾウがいることがわかっても、すぐに追い払ってはいけない。そのまま30分ほどは聞き続けるのが重要なポイントである。なぜなら、ゾウがどこから入って来たか、進行方向はどっちか、頭数、群れの散らばり具合などを把握する必要があるからだ。ゾウは、逃げる時に、もと来た道を戻る習性がある。そこで、どのルートから入ってきたかを把握した上で、進行方向を塞ぐように追い払いのフォーメーションを組まなければならない。また、頭数の把握は、非常に重要になる。追い払う時に、とりこぼしがあってゾウが残っていたりすると、追い払ったと安心しているところにゾウが出現して、襲いかかってくることがあるのだ。取りこぼしがないように、群れが散らばっている範囲や、各個体の位置を正確に把握することが重要だ。
ゾウの数に対して人数が足りない場合は、携帯電話で連絡してメンバーを集め、20-30人ほどのチームにする。そうすると、ゾウ群を確実に取り囲み、とりこぼしなく保護区に返すことができる。しかし、この「携帯で連絡を取り合う」が、なかなか簡単ではない。まず、この村と保護区の境界エリアは、電話の電波が入らない場所が多い。また、メンバーには、そもそも携帯をもっていない、もっていても電話料金をチャージしていないから使えない、という携帯にお金を使う余裕のない生活レベルの人もいる。また、電話機をもっていても、充電が切れているために使えないこともよくある。ミセケ村には電気は通っていない。充電は、ソーラーパネルをもっている人のところでさせてもらうか、町の充電ショップまで行かなければならない。先進国の人間が考えるよりも、充電は労力・時間・コストのかかる負担なのだ。このように電話連絡がとれないことも多く、結局、応援の人員を呼ぶために、となりの見張り場まで数キロ走って呼びにいっている。結局、これが一番確実で早かったりする。
いざ、ゾウを追い払う
ゾウ群の数と位置を十分に把握したら、いよいよ追い払いを始める。基本は、Vの字隊形で群れを囲み、銃声のような大きな爆発音のする爆音機(現地語でバルーティ、拙エッセイ「『ゾウを脅かす爆音機」開発物語」参照)でゾウを脅かして保護区に追い払う。この時、サッカーのようにフォーメーションを組んで連携して実施することが重要だ。一人のメンバーが早く脅かしてしまったりすると、ゾウ群が待機している他のメンバーのほうへ逃げていって、仲間が危険にさらされる可能性もある。そうならないように、全員が配置について準備ができたことを確認して開始する。理想的なパターンは、ゾウが畑に入る前に、境界線を嗅ぎ回っている段階で取り囲み、爆音機で脅かして保護区に返すのである。畑に入る前のゾウは、比較的簡単に保護区に帰っていく。畑の中で作物を食べ始めてしまうと、目の前にあるおいしい餌を食べたい欲求で執着するので、追い払うのがとても難しくなる。
こうして力を合わせて、ようやく追い払える。しかし、それで終わりではない。ゾウは、一度保護区まで追い返しても、再び村に戻ってくることもあるので油断はできない。また、一つの群れを追い払っても、別の群れが別のところから入ってくることもある。そのため、朝になるまでパトロールを続けなければならない。寝ずの番が毎夜毎夜くり返されている。
ある日の追い払いの様子。50頭のゾウが村の中に入ってきているのを、20人の追い払い隊メンバーが取り巻いている。コピエの上のリーダーチョリの合図で一斉に声を出して追い払う
終わりの見えない重労働
このように、セレンゲティの農民たちは寝る暇のない生活を送っている。昼は昼で農作業などの生計維持活動があるため、寝ているわけにはいかない。慢性的に体力が低下し、病気になりやすくなる。こんな生活をいつまで続けなければならないのか? 大規模に電気フェンスを作る、個体数を管理するなど、抜本的な対策がなければゾウ被害を減らすことはできない。それには、政府による介入が必要だが、今のところ大きな動きはない。農民たちは、対症療法でしかないが、追い払いを続けるしかない。「アフリカゾウと生きるプロジェクト」では、農民の負担を少しでも軽減できるように、追い払い活動の支援を続けていく。