足を向けて寝る(タンザニア)

岩井 雪乃

「セレンゲティの農村の人びとは、人生の中でたった1人になる時間はあるのだろうか?ないのではないか?」と思うほどに、彼らが1人でいることはない。家にいるときは大家族の誰かがいるし、水汲みや薪集め、畑仕事などの外出も、家族や近所の人と必ず連れ立っていく。人々は、「1人で歩くのは危険だ」という。野生動物が徘徊する自然環境の中に暮らしていると、いつどんな危険が襲ってくるかわからない。また、宿敵であるマサイの牛泥棒が襲撃に来る可能性もある。それに備えて複数で行動するべきだ、というのである。実際、ハイエナに襲われて子供が死亡した事件や、手負いのヒョウに襲われて男性が大怪我をした事件が2年前にも起こっている。はじめての3ヶ月の住み込み調査のとき、テントを持ち込んで庭先で寝ようとした私に、ホームステイ先のママルーシーは大反対だった。

「マサイが来たらどうする?そんなテントでは、すぐに殺されてしまうよ!」

しかし、当時の私は、日本で1人でいることに慣れていたし、始めたばかりのインタビュー調査で人と話すことに疲れていたので、「1人の時間がないと気が狂ってしまう」と感じていた。ママには申し訳ないと思いつつ、反対を押し切ってテントで寝た。「この現代で、マサイの襲撃はもうないだろう」と高をくくって。

テント時代

しかし、マサイの襲撃は起こった。調査も終わりに近いある晩、テントの外の騒がしい声に飛び起きてみると近所の人たちが集まっていた。マサイがやってきたという。村はずれの家から牛を強奪して逃走し、これに対して村の男性による追跡隊が出発したところだった。驚き脅え反省した私は、これをきっかけに、ママに従って家の中で娘たちと寝ることにした。この頃には、村での生活にも慣れていたので、誰かが一緒にいることがあたり前に感じるようになっていたし、家の娘たちは私の妹となっていた。

この当時、家には10−22歳の5人の娘がいた。私を入れると6人。ベッドは2つ。なので、1つのベッドに3人ずつ寝なければならない。どうやって寝ることになるのかと、ちょっとドキドキの初めての夜。1番目の妹がまずはベッドに横たわる。「ユキノはここに寝なさい」といわれて彼女の横に頭を並べて寝る。「3人寝るには、ちょっと狭いけど、やっぱり3人だよね?」と見守っていると、なんと4番目の妹は、私たち二人の間に足を向けて入ってきた!つまり、狭いベッドを有効に使うために、足と頭を交互にして3人が並んだのである。もう1つのベッドも、同じように交互になって3人寝ている。

町の大学生も寮のベッドで交互になって寝る

やはり、かなりギョッとしてしまう。「足が近くにあって臭くないか?夜中に蹴られやしないか?いや、私のほうが蹴るかも?」などと考えながらも睡魔に襲われて寝てみれば、一度も起きることなく朝を迎えた。私はもともとあまり寝返りを打たないタイプだし、狭いところでいつも寝ている彼女たちも、寝相のよさが身についていた。

それ以来、村で私が一人で寝ることはなくなった。ベッドに入ってランプを消した後、暗闇の中で妹たちと寝物語をするのは、それはそれは楽しいひと時だった。今日の出来事、誰かの噂話、妹をからかった冗談。暗闇の中に6人の笑い声が毎晩響きわたった。静かな村の夜では、あの笑い声は何軒も先まで聞こえていただろう。夜道を徘徊するハイエナを驚かしていたかもしれない。今思い出すと、おとぎ話のような幸せな日々だった。

母になった妹たち

「アフリカでは1つのベッドに3人で寝る。それも足を向けられて」と日本で言ったら、「なんて貧しくてかわいそう」と思われそうだ。実は、こんなに楽しく幸せなのに。私の幸福は、日本でも続いている。今は二人の子供に挟まれて。タンザニアの妹たちも、末の妹以外は、みんな母になった。夜の村に、今日も笑い声が響きわたっているだろう。我が家と同じように。

(注)マサイによる牛泥棒は、近年はほとんどなくなりました。2004年にイコマ(このエッセイに登場する人びとの民族名)との間で平和協定が結ばれています。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。