今日のニュースも良いこと尽くし(タンザニア)《Habari/ニュース/スワヒリ語》

近藤 史

プルルル、プルルル、プルルル・・・・

タンザニアへの調査渡航を翌日に控えたある日。布団に包まれて夢の世界を漂っていると、耳ざわりな電子音に現実世界へと引き戻された。何事かと思いあわてて携帯電話を手に取ると、+255から始まる12桁の数字が踊っている。タンザニアからだ。目をしばたきながら通話ボタンをおした。

“Aloo?” 「もしもし?」
“Aloo, Fumi. Naongea mama Oliva. Mzima?” 「もしもし、フミ。ママ・オリバよ。元気?」
“Ee, Nipo Mzima. Wewe je?” 「うん、元気だよ。お母さんも元気?」

電話の相手は、現地でお世話になっている家庭のお母さんだった。こちらから掛け直すと伝えて通話を切り、枕元の時計に目をやれば午前3時。6時間の時差があるから、向こうは午後9時だ。夕食が終わって、寝るには少しはやい、休息の時間帯にかけてきてくれたのだろう。嬉しく思いつつ、日本では夜更けの電話にちょっと恨めしく思いながらリダイヤルすると、すぐに繋がった。

“Habari za leo?” 「調子はどう?(直訳すると、今日のニュースは何?)」
“Nzuri sana. Uko wapi?” 「とってもいいわ。いまどこにいるの?」
“Baado niko Kyoto. Nipo kitandani.” 「まだ京都。ベッドの中だよ。」
“Ala?! Saa ngapi saa hizi?” 「ええっ?!いま何時よ?」
“Wee, saa tisa usiku.” 「深夜3時だよ〜。」
“Kweli? Sisi tupo saa tatu jioni.” 「本当?こっちは夜9時よ。」

驚く声が裏返っている。時差のことがしっくりこないらしい。私が調査しているタンザニア南部高地では、2005年頃からマツの植林と製材が盛んになり、いま林業景気に沸いている。目端のきくお父さんのおかげで居候先の一家は懐が温かくなり、両親ともに携帯電話を所持している。もう何度も国際電話をかけあっているのだが、毎回、同じような会話を交わしている。

真ん中の女性が首から下げている赤い小袋は携帯電話ケース。仕事に行くときも、遊びに行くときも、ケイタイを手放せない姿は日本人と変わらない。

ひとしきり時差の説明を終えて、今日はどうしたのかと問えば、私が村へ到着する予定日に、お母さんは隣村の実家へ行く用事ができてしまったという。しかし、中学校の寮に入っている次女がちょうど帰省していて、食事を用意して待っているから、安心して家まで来るようにという連絡だった。

お礼を伝えると、再び挨拶がはじまった。

“Habari za Kyoto?” 「京都の様子はどう?」
“Salama kabisa. Habari za nyumbani?” 「とっても平穏だよ。家の皆はどうしてる?」
“Wote wazima. Habari za mama na baba?” 「みんな元気よ。あなたのお母さんとお父さんは?」

タンザニア流の挨拶はいつもこんな調子で、同じようなやり取りが延々と続く。”Habari” を直訳すると、ニュースや知らせという意味になるのだが、挨拶に使われた場合は必ず、良い意味のフレーズを返す。ふだんは電話代が高いと通信会社の文句を言っている割に、ひとたび通話をはじめると、挨拶だけで5分も10分も続くことがしばしばある。さきほど時差の話で中断したあと、私がすぐに本題を聞いてしまったのはマナー違反だったようだ。

当たり障りのない挨拶が飽きるほど続くので、趣向をかえて、「森の様子はどう?順調に育っている?」と聞いてみた。当然、「ばっちりだ」という返答を得たのだが、調査地では野火が多いので、つい、「昨年植えたところが焼失していないか心配だ」と重ねて聞いてしまった。そうしたら、「なんてことを言うの!」と怒られたあと、冗談まじりに諭された。「せっかく村に来るのに、フミは焼跡を見ちゃうわよ。自分で呪いをかけちゃったから。悪いことを口にすると、そのとおりになってしまうかもしれないから、早く違うことを言いなさい。」

タンザニアで調査をはじめてから10年以上たち、定型に近い問答を繰り返す挨拶に慣れていたが、絆を確かめる以上の意味があるとは思っていなかった。真夜中に、挨拶を交わすためだけに頻繁にかかってくる国際電話を、正直なところ、少し面倒に感じることもあった。お母さんの言葉には、そんな気持ちを吹き飛ばす勢いがあった。

日本の「言霊」や「言祝ぎ」と同じように、言葉には神秘的な力が宿っていて、良いことを口にすれば実現するという考え方が、タンザニアにもあるのだろう。この事件のあとは、かわり映えのしない挨拶の応酬も、少しまじめな祈りの心をこめて交わすようになった。今夜もまた、タンザニアの家族の幸せを願って、お母さんに電話をかけてみようかと思う。