息を合わせて育てる

 関野 文子

村のたまり場のベンチに座って、男性たちがおしゃべりをしている。膝の上や足元には赤ちゃんがいて、思い思いに遊んでいる。カメルーン熱帯雨林地域の集落で狩猟採集民バカの調査をしていると、よくみる光景である。女性たちもベンチに寄り集まっておしゃべりをするが、それはお昼頃が多くて、朝や夕方にはきまって男性たちが集まっている。お父さんの膝に抱かれた赤ちゃんはとても穏やかで、お父さんのまなざしは温かく柔らかい。赤ちゃんはバカ語で「ディンド」と呼ばれ、両親、上の兄弟や子ども、おじおば、祖父母などからとても可愛がられる。

バカの友人が生まれた子に、私の名前である「アヤコ」と名付けてくれたことがあった。フィールドで自分の名前を子どもに付けてもらえるということは、現地の人に受け入れられ、愛されていることの証でもあり、フィールドワーカーにとっては大変光栄なことである。しかし、アヤコが生まれたのは、私が日本にいる時で、次に行った時には、アヤコは亡くなっていた。大人の膝くらいの身長になって、ヨチヨチ歩きをしていたくらいだったそうだ。アヤコに会えなかったことはとても残念で、事あるごとにアヤコのことを思い出す。きっとアヤコも色んな人に抱っこされ可愛がられていただろう。子沢山のバカの社会では、女性たちは4〜6人の子どもを生むのが一般的だが、乳幼児の死亡率は高く、調査地を訪れるたびに数人の子どもが亡くなっている。文字にするのは簡単だが、幼い人を無くす喪失感は計り知れない。


写真1: 赤ちゃんを抱っこするお父さんたち

写真2:軒先でおしゃべりするお母さんたち

バカの社会の生業は、男女で役割分担がなされている(※「私はそれを知らない」(林 耕次))ではバカの女性だけが担う生業について紹介している)。狩猟は主に男性、採集は主に女性である。とはいえ、この役割は、かい出し漁など特定の生業を除いては、ゆるやかなもので、料理や子育ては男性もおこなう(※ブッシュマンの例は「ごはんをつくるのは、おなかがすいたひと」(丸山 淳子)を参照)。先行研究によると、ピグミー系狩猟採集民の父親の子育ては、民族によって関わり方が異なるという。バカと同じピグミー系狩猟採集民のアカの社会では、父親は母親と同等に赤ちゃんを抱っこし、赤ちゃんのケアをするという。一方、バカの場合、育児は母親が中心におこない、アカに比べるとバカの父親は、赤ちゃんに直接関わる機会は少ない傾向にある。しかし、その分、父親を含む男性は、母親の生業活動の不足を担っていると先行研究では指摘している。また、年長の子どもとくに、年長の女子は、母親の次に乳幼児のケアに多く関わっている。例えば、赤ちゃんを抱っこして遊びのグループに参加したり、母親の料理の手伝いをしながら、子守をしたりすることもある。同じくバカの調査をする大学院生の田中文菜さんによると、森のキャンプではおばあちゃんが母親と一緒に生業活動に参加し乳児の面倒をみるが、おじいちゃんは幼児の子守をしながら留守番をしていることも多いという。つまり、バカの社会では、育児とそれとセットである生業活動は、成員間で協働しておこなっており、幼い子どものケアには母親以外の多くの人が関わっている。それは、性別や年齢で固定的な役割が決まっているのではなく、その時の状況によってそれぞれの構成員が柔軟に役割を担っているようにみえる。

写真3:おばあちゃんが乳を咥えさせることもある。

写真4:森のキャンプで赤ちゃんを抱く青年

他方、私も最近母になり、同じく院生である夫と協力しながら子育てをしている。授乳以外の育児および家事は、夫もほぼ同等にしているが、改めて気づくことや違和感を覚えることも少なくない。例えば、夫が子どもを抱っこしてあやしていた時、「お父さん慣れていますね〜保育関係者ですか?」と言われていたことがある。夫にしてみれば、「普段からどれだけ抱っこしていると思っているんだ、慣れて当然だ。」と、少し気に食わない様子であった。一方、「お母さん慣れていますね〜」とは言われない。お母さんは慣れていて当たり前で、子どもを抱っこするのが普通だからだろう。お父さんがしていたら褒められるのに、お母さんがしていても大して褒められないのはなぜだろう。逆に、私が赤ちゃんを抱っこしていない時に「身軽だね〜」と男性の友人から言われたこともある。どういう意味か初めはわからなかったが、その時は、夫が子どもを抱っこしていたので、赤ちゃんはどこにいるのかという意味だったらしい。赤ちゃんと一緒にいるのはいつも母親とは限らない。他方、育児雑誌をみれば、新生児を「ワンオペ」でお世話するお母さんの一日が紹介され、お父さんは深夜に帰宅、洗濯機をかけるのがお父さんの唯一の仕事という調子だ。男性の育休が推進されているこのご時世、それなら、もっとお母さんがラクをできるように、育休パパの記事や育休を取るための指南の方がよほど役に立つのではないかと思ってしまうのは私だけだろうか。このように、日本で子育てを始めてから、子育てに関するジェンダーバランスについて考えさせられる機会が増えた。

バカの社会でみた子育てと自らが日本で経験した子育てとを合わせてみると、考えさせられることが多い。核家族化や都市化が進む現在、日本の子育て環境は決して優しいものではない。特に小さな子どものお世話と炊事洗濯等を夫婦だけですることは肉体的にも体力的にもとても大変だ。知り合いの助産師さんによると、最近は男性の産後うつも増えているそうだ。特に育休を取らずに、仕事もしながら、家事と生まれたばかりの赤ちゃんのお世話を担う男性には負担が大きいという。かくいう夫も、私の産後は炊事洗濯など家事全般と24時間育児、それに加え研究と大変に頑張ってくれた。しかし私同様に相当な疲れがあり、物忘れが多くなったり、涙もろくなったり、何をしても泣き止まぬ我が子を抱いていると耳鳴りがする、という調子だった。産後ママのケアには、注目が集まるが、産後パパという言葉はそもそもあまり聞いたことがない。しかし、男性のケアも見過ごされてはいけないと自身と夫の経験から学んだ。きっと男性は身近に相談する相手が少ないことも原因にあるように思う。男性も育児への積極的な参加が求められ、日本の制度も変わろうとしている。しかし、大事なことは、女の仕事である育児を男性が「手伝う」ということではなくて、まさに両者とその周辺の人の協働と母親、父親双方のケアだと思う。

再びフィールドの話に戻る。ある時、バカの男性が料理をしていた。私は集落で男性が料理をしているところをほとんど見たことがなかったため、「男の人も料理をするんだね?」と聞いた。でも彼は「男だって料理するんだよ」と少し笑って教えてくれた。きっとその時彼が料理をしたのは、妻が子どもの世話をしているとか、周りにごはんを作れる人がいないといった理由があったのだろう。女の仕事と思われていることでも、環境やその時々の状況に応じて柔軟に対応していくことがバカの社会の特徴なのではないだろうか。

写真5:キノコを調理する男性

写真6:女性の仕事をまねする男性、横で妻が笑ってみている。
(普段かごを背負うのは女性だ)

だとすると、父親も母親も育児と家事の役割分担を決めて、負担を均等にすることは、必ずしも理想ではないかもしれない。例えば、一方が料理を作っているなら、もう一方が子どもと遊ぶ、どちらかが体調を崩したり、忙しかったりする時にもう一人が全てを担うのは大変だから、料理とか掃除などはできる限り手を抜く、というように柔軟に対応する方がよいのではないか。大変な時には誰かの手を借りることもとても大事だ。今日はお父さんが料理をして、お母さんが子どもをお風呂に入れる、でも明日は逆でもいいのだ。ゆるやかな分担やルーティンはありつつも、各人がそれぞれの状況を見極めながら立ち回る方が日常生活はうまく回せるような気がするのは私だけだろうか。だって子どもは日々変化するし、親たちの体調や仕事の状況も日々変化するのだから。少なくとも我が家は、あうんの呼吸といったら聞こえがいいかもしれないが、お互いがなんとなく、あるいはその日の気分でそうしていることが多い。もちろん噛み合わない時もぶつかる時もある。でも、きっとバカの社会でもそうやって、ともに暮らす人々がなんとなく、子どもを抱っこしたり、生業活動をしたりしているのではないだろうか、とフィールドの人々に思いを馳せる。そう思うと、バカの人々の生活感覚に少し近づけたような気がしてちょっと嬉しくなった。

写真7:森のキャンプで遊ぶ子どもたち