「Keep yourself busy」(会報第19号 アフリカ便り②)

松隈俊佑

 東アフリカの開発実践の現場に携わるようになって数年が経った。ケニアのマサイの村で修士論文執筆のための調査をしていたときには、まさか私自身が開発現場で仕事をすることになるとは想像していなかった。正直に言うと、想像していなかったどころか距離を置きたいとすら考えていた。ところがアフリカで就職先を見つけようとすると、開発実践の現場にその機会が多く、程なく私も開発現場に身を置くようになった。現在私は、2019年4月に開始したSATREPS-MNGDプロジェクトの研究員兼業務調整員を務めている。

アフリカでプロジェクトを実施すると、日本では想像もしないところで事業がしばしば遅延したり停止したりする。雨期や乾期といった天候によって事業の進捗が左右されることは序の口である。雨期が長引いて資材が運べずに工事が進まないことや、逆に乾期で工事用水が手に入らず、工事が進められないこともある。もしくは、先進国から専門家として派遣され、現場で指揮をとる予定であった事業統括の就労許可証が取得できないために工事が開始できない事例もあった。養鶏のプロジェクトを開始したところ、元手となる鶏を地元の人たちがさばいて食べてしまった、という話は傍から聞けば笑い話であるが、実践している者たちにとっては卒倒モノである。

アフリカでのプロジェクトの停止や延期の例は枚挙に暇がないが、今般のコロナ禍ほど一斉にほとんどすべてのプロジェクトが停止したことは未だかつてなかったように思う。私が現在従事しているプロジェクトも例に漏れず、コロナ禍の影響を受けた。日本とエチオピアの共同研究プロジェクトであったが、双方の渡航制限を受けて、同一の現場での共同作業はできなくなり、オンラインでの会議を継続しながら、各々で実験や研究活動を進めることとなった。(写真①)1年半ほど試行錯誤しながら、停滞感を帯びながらも事業を継続してきた。ようやくコロナ禍の落ち着きが見えて渡航制限が解除されたと思ったところで、エチオピア北部の紛争を理由にエチオピア政府が緊急事態宣言を出した。

写真① 現地研究者と土質実験を進める(2021年3月)

 コロナ禍と紛争によって、私はほとんど丸2年現場を離れることとなった。2022年4月、エチオピアに戻った私には、この2年間で驚くほど変わっていない部分が目についた。中国系の建設会社が大規模に工事を進めていた国立競技場は、ほとんど変化がなかったし、とてつもなく広大な敷地に建設が進められていた公営住宅の一画も、入居が開始されていないどころか工事が停止してしまっていた。(写真②・③)もちろん真新しいホテルが工事を終えて開業していたり、おしゃれなカフェテリアが増えていたりもするが、この2年間でまったく変化がない大規模な建造物を見て、建設現場で働いていたであろう地元の人たちへ想いを馳せて、コロナ禍の影響の大きさをあらためて痛感した。コロナ禍と紛争で外国人観光客もめっきり減ってしまって、地元住民の生活への負の影響は甚大であっただろうと想像した。

写真②2020年中に竣工予定であった建設中の国立競技場(2022年6月)

 

写真③2020年に入居開始予定であった公営住宅(2022年6月)

 ところが、2年ぶりに再会した友人たちは、コロナ禍でいろんな活動が停滞しているなかでも、様々なことに挑戦していると語る者が多かった。本稿ではその中でも同じような台詞を私の胸に残した3名の友人を紹介する。

ひとりは、コロナ禍前にアディスアベバ大学エチオピア研究センターに設置された京大アフリカオフィスが主催していた日本語・日本文化学習コースに参加していた青年D氏である。彼は、母語である民族語のほかに、アムハラ語、英語、ドイツ語が話せた。アジアの言語にも挑戦したいと考えて、日本語・日本文化学習コースに熱心に参加した。コロナ禍で日本人の先生がいなくなってからも、一部の参加者とともに日本語の勉強を続けていた。しかし、日本人の先生が去ってから半年も過ぎると、次第に他の生徒とも少しずつ連絡が滞りがちになり、日本語学習は停滞した。しかしD氏は、空いた時間を活用して、以前から細々と続けていたヨガに時間を割くようになり、間もなくインストラクターとしての資格を取得した。コロナ禍以降、アディスアベバ市内のヨガの需要はにわかに高まっているようで、彼は市内の3カ所でインストラクターをするようになった。D氏はまた、コロナ禍で人手不足となったドイツ語学校の幼稚舎で保育士の補助の仕事を開始して、現在は、午前中にヨガのインストラクターを務め、午後にドイツ語学校で保育士補助を務める生活をしている。D氏は、コロナ禍前には想像もしていなかったけれど「大切なのは keep myself busy なんだ」と語った。

もうひとりは、観光業で生計を立てていたA氏である。彼はレンタカー及びそのドライバーの斡旋や、エチオピア地方での観光ツアーのアレンジをして稼ぎを得ていた。コロナ禍以降、観光業が壊滅的な状態となってからは、国内の工事現場にレンタカーを斡旋することや、結婚式用のレンタカー斡旋で収入を安定させるようになった。アディスアベバ市内や地方都市で執り行われる結婚式では、リムジン車を含む車両が何台も使用されるため、彼はリムジン車やドライバーを斡旋したり、ときには自ら運転し、生計を安定させた。結婚式はエチオピアの町中では土日に執り行われることが多く、結婚式シーズンには、A氏は平日も週末も関係なく仕事をしていた。結婚式はときには深夜まで続くこともあり、私は彼に休息もきちんととるように言うと、彼は「Busy is important」と言った。コロナ禍で仕事が激減した1年前を想像して、その言葉の重さを推し量った。

最後のひとりは、アディスアベバ大学の教員のT氏である。彼は日本で博士号を取得したあと、アディスアベバ大学に就職した。コロナ禍で海外渡航が制限されるなかで、彼は国内での研究活動や発信活動を積極的に継続してきた。むしろ国内に腰を据えてできることを実行してきた。研究集会やワークショップも人数制限を受けていたが、非難されることを恐れずに感染対策をしながら複数実施し、そこでできた人脈を活かしてオンラインで打合せを重ねて、新しい研究プロジェクトも立ち上げた。(写真④)私も現在は大学の一職員としてプロジェクトに携わっており、T氏とは似たような立場であるが、彼の積極的な研究活動を目の当たりにすると、背筋が伸びる思いがした。私なりにコロナ禍でも研究活動は継続してきたつもりであったが、コロナ禍を言い訳に先延ばしにしたり諦めた活動も多かったように感じてしまう。正直にT氏にそう伝えると、彼は「難しいのはわかる。でも keep yourself busy。それが肝心」と言った。

写真④:感染対策をしながらワークショップを開催(2021年10月)

 日本で生活していると「忙しい」という言葉は、しばしばネガティブな文脈で使われるように思う。忙しい毎日を送る中で、何とか「忙しさ」から抜け出そうと息抜きしたり、余暇やゆとりをいかに作ったりするか、ということに意識を向けることが多くないだろうか。「忙しいのが大事」とか「忙しく居続けろ」と言われると、よっぽど意識が高い実業家を目指しているかのように感じてしまう。ところが、エチオピアでコロナ禍を経験した彼らの口から出た「busy」という単語は、毎日やるべき仕事を歓迎し、日々やりたいことを積み重ねる前向きな響きを持っていた。もちろん彼らも生活が苦しくないわけではない。ウィズコロナの生活スタイルを模索しなければならないし、北部紛争や国際情勢の影響で物価は上昇し続けている。それでも彼らは悲観ばかりせず、できることをとにかくやってみるという態度で前向きに活動している。彼らの姿は、私もこの2年間で諦めたことにくよくよせず、エチオピアで毎日やるべき/やりたい仕事を積み重ねたいと思わせてくれた。