みんなで見送る―「見送る」

八塚 春名

アフリックのエッセイのなかに、死を扱うものはいくつもあって、読むたびに泣いてしまう、わたしにとっての神エッセイのひとつが、井上真悠子さんの「全ては神さまが決めること」だ。このエッセイは、井上さんの知人であり、タンザニアのザンジバル島に友人をもつ日本人男性が亡くなった時のことを書いたものだ。男性が末期がんであることを聞いたザンジバルの女性たちは、快復を神に祈り、日本に帰国する井上さんに彼への贈り物を託したが、男性は井上さんがザンジバルを飛び立つとほぼ同じ時刻に息を引き取った。「全ては神さまが決めること」というのは、そんなやり切れない気持ちを抱えた時に島の人たちが口にするフレーズだ。「彼女たちは、毎日祈り、神に自分自身の心をゆだねることで、日々の苦しみや理不尽な出来事を乗り越えていた」という。同じタンザニアで調査をしてきたわたしも、そのフレーズを何度も聞き、そして気付けば自分でも使うようになっていた。

2023年の夏、タンザニアに滞在していた時、わたしとひとつしか年の変わらない友人のアントニーが亡くなった。彼は双子が2組もいる14人きょうだいの真ん中あたりで、彼自身も双子だった。結婚後は実家の近くに奥さんと子どもたちと暮らし、周りには彼の母親やきょうだいの家が並んでいた。アントニーはずっと元気だった。亡くなった日の朝も、近所で酒を飲んでいた。さあ、お腹も膨れたし、今からみんなで畑に行こう、と話した矢先に「頭が痛い」といい、倒れたそうだ。周囲にいた人たちが慌ててバイクに乗せて診療所まで運んだけれど、その時点でもう意識はなく、医者は「ここでは何もできない」といった。町の大きな病院に連れて行こうと車を探していたところで、アントニーは息をしなくなった。

アントニーの死は、たぶん、近代医学でいうところの、血管が詰まったり破裂したりしたたぐいのものなのだろうと、わたしは素人ながらに思っていた。でも彼の友人や家族たちにとっては、さっきまで一緒に酒を飲んでいたのに、突然倒れ、あっという間に亡くなったというのは、受け入れがたい出来事だった。「呪いじゃないか」というひそひそ話もさんざん聞いた。それでもやはりどの会話も最後は、「でも、神さまが決めたことだからね」というフレーズで締めくくられた。小さな、まだ3歳になったばかりの子どもがいたのに、「それでも神さまはアントニーを選んだのだ」と。「わたしたちはアントニーが大好きだった、でも神さまはもっと彼を必要とした」と。「だからしかたがない」と。すると、「そうだね、そうだよね」とみんな彼の死を受け入れるしかなかった。

お葬式になると、いつもは静かな村に、とにかくたくさんの人がやって来る。村中からはもちろんのこと、都市からもバスをチャーターしたりして、親族や友人がおおぜいやって来る。訪問者はまず遺体に面会するのだが、その時にみんな、大声をあげて泣き叫ぶ。たくさんたくさん泣いて少し落ち着いたら、故人の家族にお悔やみを述べ、そのあとはみんな、テキパキと働く。男性は薪集めや水汲みに始まり、墓を掘ったり、ウシやヤギを屠って肉を用意したりと力仕事の連続だ。女性は自分の家から食器やバケツや鍋を持ってきて、もっぱら調理を担う。とにかくおおぜい人が来るから、やるべき仕事は山ほどあるし、つくるべき料理はものすごい量なのだ。そんな状況だから、わたしにも必ず仕事が与えられる。コメを選別したり、トマトを切ったり、出来上がった料理を皿によそったり。みんなそうして仕事をこなしながら、集った人たちと一緒に、アントニーのことも、全然関係ないことも、たくさんおしゃべりをして過ごす。こうしたお葬式は、織田雪世さんの「ともに生きる」にも書かれているとおり、数日にわたるドタバタで、たしかに少し疲れる。でも多くの人がそこに集い、悲しみを共有することで、さっきまで大泣きしていた気持ちが、少し回復していく。わたしもみんなのご飯を皿によそいながら、「もっといっぱい入れてよ」、「ほかの人の分がなくなるやん」とやりとりしていると、寂しさが少し紛れたものだ。織田さんがエッセイのなかで「人の死は、別れであると同時に、生者たちをふたたび結びつけるもの」と書いたように、村の人たちとわたしは、数日にわたるアントニーのお葬式を力を合わせて執りおこない、悲しい経験をともに乗り越えたのだ。

この村のお葬式では、最後の日に親族は髪を剃る。アントニーは大家族だったから、たくさんの人が髪を剃った。そしてその剃った髪を、遺体が安置されていた部屋や集まった人たちが寝起きしていた部屋、調理をしたり人が食事をしたりした庭といった、お葬式に関わったすべての場のゴミと一緒にほうきで掃き集める。集めたゴミは敷地の隅っこに捨てられるが、数日分のすべてのゴミだから大量で、居合わせた人みんなでバケツリレーのようにゴミを運んだ。わたしもみんなのリレーの列に加わり、隣からゴミを受け取って、反対側の隣へとゴミを渡した。すると隣にいた女性がわたしにゴミを手渡しながら、「みんなでアントニーを見送っているのね」といった。そう、わたしたちは、ひとりであちらの世界へ行くアントニーが寂しくないように、こちらの世界でわたしたちがお供できるギリギリのところまで、みんなでリレーをして彼を見送ったのだ。

写真:バケツリレーでアントニーを見送る

アントニーを見送ったあと、彼のきょうだいたちがわたしにお墓の前で写真を撮ってほしいといいに来た。大家族だから、写真に納まりきれないほどの人数がお墓を囲み、ワチャワチャにぎやかに写真撮影をした。「この写真はいつくれるの?何枚、印刷してくれる?」といつもの彼女たちに戻って、なんだか少しほっとした。大切な家族を見送るという大仕事を終えて、彼女たちの顔は少し晴ればれしているようにも見えた。

悲しくないお葬式なんてない。それでもたくさんの人と悲しみを共有できたら、わたしたちはまた明日からも、その人たちと一緒に生きていけるのだ。