走らない生活(タンザニア)

黒崎 龍悟

イカンガーといえばかの有名なタンザニア出身のマラソン選手である。しかし残念ながらタンザニア国内での知名度はそれほどでもない。世界に誇るイカンガーなら外国人との会話の中で話題にのぼってもよさそうなものだが、私のこれまでのタンザニア滞在でそういうことは一度もなかった。振り返ってみると、そもそもタンザニアで走っている人をあまり見たことがない。

タンザニアでは陸上競技よりもむしろサッカーが盛んなようで、都市や地方の町のサッカークラブにいけば、サッカー場でのトレーニング風景はみられる。しかし、小さな町や村で日常的にトレーニングしている人を見るのはごくまれだ。積極的に走ろうものなら、道行く人が振り返ることは間違いない。私でも振り返る。それぐらい走っている人は珍しい。

なぜ人びとは走らないのかということを考えた場合、彼らの生活環境がその理由として思い当たる。例えば私の住んでいた村では、人びとは日常生活で水汲みをしたり、斧で木を切ったり、思い荷物を手や頭にのせて運んだり、広大な畑をくわで耕したり、必要に迫られると10km〜50kmの距離を徒歩で移動したりする。それだけでかなりの体力が必要になるのは明らかだ。彼らにさらなるトレーニングをするような時間的・体力的余裕があるとは考えにくい。基礎体力はすでに並みではないが、必要以上の無理をすれば体を壊して農作業に支障がでてしまう。彼らはそのことを十分承知しているのだ。

タンザニアの有名なことわざに、“Haraka haraka haina baraka. Pole pole ni ndio mwendo”(急ぐことは幸運をもたらさない。ゆっくりこそが本当の歩みである、という意味のスワヒリ語)というものがある。人びとは何事にもゆったりと構えている。将来的に、生活をとりまく条件が変われば、タンザニアにもさまざまなスポーツが普及して、村でも走る人があらわれるかもしれないが、とりあえず、人びとは今日もポレポレと生活している。