キレイなムベゲ

溝内 克之

「検査の結果は、アメーバ赤痢。なにか変なもの食べたり飲んだりした?え、ムベゲ?街で買ったムベゲ。それが原因ね。街のムベゲは、キタナイからね。」

私を診察したタンザニア人医師は、日本人がバナナの酒ムベゲを飲んだことが面白かったようで、笑いながら街のムベゲは飲まないほうがいいとアドバイスしてくれた。

私とムベゲの最初の出会いは、タンザニア北部に聳え立つキリマンジャロ山の麓町だった。その出会いは、アメーバ赤痢の潜伏期間である2週間を過ぎたある日、想像を絶する激しい下痢と下腹部の痛みという結末にいたった。もう20年ほど前の話だ。そして、その悲しい出会いから3年後、私は調査のため住み込みをはじめたキリマンジャロ山間部の村で、「キレイ」なムベゲに囲まれる生活を送ることになった。

ムベゲは、キリマンジャロ山間部に暮らすチャガ人たちの地酒だ。うちの村ではアクが強く生食、料理には向かないニャンゲレと呼ばれる品種のバナナで造られる。家の周りの畑から切り出されたニェンゲレは、追熟のために屋根裏に置かれる。十分に熟したら、皮をむかれ、どろどろになるまで大鍋で煮込まれる(写真:ムベゲ造り用の大鍋)。

 

ころあいになると火が消され、粗熱がとれたら軽く濾される。発酵を促進してくれる発芽した雑穀を炒めたものを鍋に加えたら別の樽に移され倉庫で寝かされる(写真:樽に移されたムベゲ)。寝かしが始まってから2~3日目には、甘みと酸味がほどよく調和したムベゲが出来上がる。そこから日が経つにつれ甘みがなくなり酸味が強くなる。私は2日半から4日目までのムベゲが好きだ。

 

村では、「キラブ」と呼ばれるバー(小屋)でムベゲを楽しむことができる(写真:村の共同労働に参加した男性たちとキラブで打ち上げ)。近所の人が自家製のムベゲをおすそ分けしてくれることも少なくない。結婚式、埋葬などにもムベゲは欠かせない。儀礼の際には先祖が埋葬されている場所にムベゲが捧げられる。多くの場合、ムベゲづくりは、女性の仕事でキラブに卸す商売で現金を稼ぐ女性も多い。平地部の畑での野良仕事へは、プラスチックのボトルに入れたムベゲを担いで山を下りる。「バナナと雑穀でできているのだから、酒じゃない。ご飯だ」と村の年寄りが教えてくれた。村の生活にムベゲは欠かせない。

「カリブ(どうぞ)、ムベゲ」

村での生活を始めてすぐにムベゲとの再会を果たした。調査と言っても何から手を付けていいのかわからず、村の中をひたすら歩きまわっていた私は、キラブでムベゲを飲む老人の集まりに声をかけられた。3年前の下痢を思い出す。

「あれ!?甘くて美味しい」。3年前に飲んだムベゲと味が違う。老人たちに、むかし街で飲んだムベゲと味が違うこと、そしてアメーバ赤痢になった経験を伝えると、老人たちは「街のムベゲは、キレイじゃないからなあ」と大笑いした。(写真:上に漂うのはバナナの繊維や雑穀の粉など)

「街のムベゲなんて誰が造ったのかも分からない」と村人、そして街でムベゲを飲むチャガ人がいう。金儲けのためにムベゲを都会の汚れた水で薄めることもあるらしい(人口密度が高く、下水施設が整備されていないので、病原菌が水に混じりやすいこともあるだろう)。キリマジャロから約550km離れたタンザニア最大都市ダルエスサラームでもムベゲを飲む機会がある、経済的余裕のあるチャガ人が、結婚式などのパーティーのためにわざわざ村の家族から運んでもらう。都会のチャガ人も「村のムベゲはキレイだ」と話す。

しかし、よくよく考えると、村のムベゲは「キレイ」なのだろうか。正直、村生活に慣れていない人やお腹が弱い人には飲むことをお勧めしない。儀礼で酒造りをする際は、昔ながらの作り方でワラとバナナの葉を使って酒が濾される。倉庫で寝かされているときも、甘い香りに誘われて虫もよってくる。コップに注がれたムベゲには、バナナの繊維や雑穀の粉の塊、たまに小さな虫などいろいろ浮いている。ふーっと息を吹きかけてその浮いているものを追いやってからムベゲを楽しめるようになれば、一人前だ。

12月、クリスマスが近づくと村の多くの世帯でムベゲが準備される。街に暮らす息子や娘、親族、友人たちを迎え入れるためだ。どこか日本のお盆のような雰囲気だ。麓町のモシや大都市ダルエスサラームからのバスが停まる場所には、家族を待ちわびる村人が集まっていたりする。バスが到着すると、身動きができないほど満員の車内から人をかき分けかき分け帰省者が下りてくる。その手には村の家族へのお土産が抱えられている。

そして帰省した家族が家に着くと村の家族が「カリブ、カリブ(どうぞ、どうぞ)」とヒョウタンのコップに入れられたムベゲを手渡す。「ああ、村に帰ってきたなあ」という感じる瞬間だろうか。やはり村のムベゲは、「キレイ」だ。