寂しいけれど、寂しくない(会報第19号 アフリカ便り①)

八塚 春名

つい先日、「きのうビビ・アガタの埋葬だったよ」というメッセージがタンザニアから届いた。その2 週間前には「ムゼー・マーヌが亡くなった」と電話で聞いたばかりだった。ムゼー・マーヌ(マーヌじいさんの意味)は村一番の長老で、みんなのウワサでは110 歳を超えていた。年齢が明らかな人たちと比較してみると、みんなのウワサは妥当なところで、たぶん本当にムゼー・マーヌは110 年以上もの長いあいだ、この世界を生きたのだ。ビビ・アガタ(アガタばあさんの意味)もおそらく90 歳代後半だった。

タンザニアでわたしがずっと居候をしてきた家族は、高齢の夫婦とかれらの孫や姪からなっていた。家主が高齢だから、家を訪ねてくる人たちもかれらが仲良くする高齢者が多く、わたしにも、自然と高齢者の知り合いが増えていった。パートナーに先立たれ一人暮らしになったおばあちゃんがいれば、砂糖と紅茶をおみやげに、生存確認と称してたびたびおしゃべりに行ったりもしてきた。ビビ・アガタもわたしが定期的に訪れる知り合いのひとりだった。みんなわたしのことを孫のようにかわいがってくれ、豊富な経験談を聞かせてくれることもあれば、都市に暮らす子どもがちっとも会いに来ないとグチを聞かされることもあった。しかし日本から渡航するたびに、いつも誰かがいなくなっていた。わたしを育ててくれた居候先のおじいさんとおばあさんも、2015 年と2021 年にそれぞれこの世からいなくなった。2021 年3 月、おばあさんが亡くなったとき、わたしはCOVID-19 の世界的な感染拡大により渡航できずにいた。いつもなら夏に、そして3 月にも行って、会えていたはずなのに、会えないままだった。とても悔しかったし、寂しかった。

写真1 わたしのおばあさん(左)とビビ・アガタ(右)

2022 年3 月、わたしは2 年ぶりにタンザニアに行くことにした。ムゼー・マーヌとビビ・アガタの家へも、小さなおみやげを持って伺った。ムゼー・マーヌは息子家族と一緒に暮らしていたが、息子は早くに亡くなってしまい、その後ずっと、息子の妻だったイリミナとその子や孫たちと暮らしてきた。ムゼーの家に着き、イリミナと2 年ぶりの挨拶をかわし、互いの近況を交換し合ったあと、ムゼーは?と聞いた。ムゼーはもうずっと寝たきりで、トイレに行くこともできないこと、耳は聞こえるけれど、視力がとても弱ってしまったこと、トイレに行けないから毎日のように服やシーツの汚れ物が大量であること、それを近所に暮らすムゼーの娘たちと分担して洗濯していること、隣に暮らす息子がムゼーの着替えや水浴びを手伝っていること、そして今はお昼寝中であることを話してくれた。「それはたいへんだね」というと、「たいへんなんてもんじゃない、本当にクタクタよ」との返事。イリミナは足が不自由で、杖をついて歩く。その彼女にとって、この体力仕事は相当な負担のはずだった。それでも親族が手分けしてムゼーの生を支えていることに、110 年も生きたムゼーにたいするみんなのリスペクトを感じて、なんだかちょっとうらやましくも思えた。

写真2 ものづくりが好きだったムゼー・マーヌ。壁一面にムゼーの作品と創作の道具が並ぶ。

ムゼー・マーヌの家に続いて、ビビ・アガタの家へ向かった。ビビ・アガタはマルセリーナという娘(といってもマルセリーナもじゅうぶんに高齢)とふたりで暮らしているが、この頃、マルセリーナは体調が悪くて寝込んでいると聞いていた。石鹸や油のおみやげを手にドアから中を覗くと、ビビはマルセリーナのために調理をしようと火を起こしていた。ビビは目が見えなくなっていたけれど、声でわたしを認識し、久々の再会を喜んでくれた。2021 年に亡くなったわたしの居候先のおばあさんと共に、ビビ・アガタは若いころからずっと、教会で賛美歌をうたってきた。火を起こしながら、「あんたのおばあさん、わたしより先に逝ってしまったよ、もうみんないない」と寂しそうに語った。その会話のほんの2 か月後の2022 年5 月末、ビビ・アガタもあちらへいってしまった。きっと今頃はふたりでまた賛美歌をうたっていることだろう。

長く通っているうちに、たくさんの人と知り合い、わたしを子や孫や妹のように扱ってくれたり、姉のように慕ってくれたりする人もたくさんできた。そうしたつながりが楽しくて、わたしはタンザニアへ戻るのだけれど、そのたびに誰かがいなくなるということも経験してきた。ムゼー・マーヌもビビ・アガタも、居候先のおじいさんとおばあさんも、もう村にはいない。しかしわたしのボロボロになったフィールドノートには、かつて聞き取ったかれらの語りや観察したかれらのやりとりが、わたしの雑な字で書き留めてある。日記のなかには、論文にはならないような、かれらとのおしゃべりの記録が残っている。

【2016 年2 月29 日】
ムゼー・マーヌの家に生えている木をめぐって、ムゼーとロンジーニがやりとりをしていた。ムゼーはその木をmapin というが、ロンジーニは「mapin は樹皮が白く傷がないけど、これは樹皮が赤いからmasin だ」という※。ムゼーはmapin とmasin は性格がちがうといい、ふたりで「ちがう、ちがう」といい合っていた(笑)。ムゼーは、「これはmapin で、lasse(穀物の選別などに使う横長の容器)をつくるのに使う木だ!」とロンジーニといい合っていた。

「ちがう、ちがう」というムゼー・マーヌの姿が、はっきりと思い出される。ムゼーたちとのお別れは寂しいけれど、ノートを見ればいつでも姿が目に浮かぶ。だから、寂しいけれど、寂しくない。わたしのノートにたくさん登場してくれたかれらの生きざまに、心からの賛辞をおくりたい。

※ mapin とmasin はどちらもマメ科の同じ樹種だと考えられるが、ムゼー・マーヌたちはそれをさまざまな特徴に応じて数種にわけて識別している。