伝道師キマンボさんに教わったこと (会報アフリック・アフリカ No.17 アフリカ便り)

佐藤 秀

伝道師の仕事

「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。この大地の恵みを祝福し、私達の心と身体を支える糧としてください。聖霊の御名によって、アーメン。」

タンザニア・キリマンジャロ山麓の標高約1,100m に位置するフカ村。僕が青年海外協力隊員として2015 年10 月から2 年間滞在した農村だ。舗装路が村の中心を通り、裕福な農家も暮らすこの村で、電気・水道もなく、レンガを積み重ねた小さな家でキマンボさんは毎日神に祈りを捧げる。

キマンボさんは大多数の村民と同じく農家として畑を耕し、家畜を飼養する一方、伝道師(Evangelist)の仕事もしている。

彼は、教会で信者たちの前に立って、聖書片手に説教をするのではなく、依頼を受けて個人の宅を訪問し、依頼人のために祈りを捧げる。依頼の理由は、体の不調や病のためのお祈り、原因不明の家畜の病気のお祓いなど様々だ。依頼をするのは何も知人・友人に限ったことではない。タンザニアの小学校には宗教教育が時間割に組み込まれており、キマンボさんは事あるごとに小学校を訪問してお祈りをしている。小学校の卒業試験の前には、最終学年の生徒一人一人にお祈りの言葉を授け、試験がうまくいくように激励する。

小学校でお祈りの後、子どもたちに歌を教えるキマンボさん

ある時には、遠く離れた村に住む知人から電話がかかってくる。「実は最近体の調子が…。」

「よし、じゃあ左手を頭の上、右手を足に置いて目を瞑りなさい。」キマンボさんはそう言うと、お祈りを始める。最後には電話越しに「アーメーーン!!」と叫ぶ。

これぞ最先端の「リモートお祈り」だ。

タンザニア国内はイスラム教とキリスト教が共存しているが、キリマンジャロ山周辺のチャガ人の間では圧倒的にキリスト教が主流だ。そして彼らの生活には、神への祈りが欠かせない。食事の前には大地と生命への感謝、お客を家に迎えた時の感謝、旅立つ前の交通安全、贈り物を受け取ったときの感謝、贈り物を誰かに渡すとき…。キマンボさんはいついかなる時も神への感謝とお祈りを忘れない。

気になったので、そんな彼に尋ねてみた。

「伝道師の仕事は教会から給料は出てるの? お金はどうしてるの?」

「お祈りは神から与えられた仕事であり、見返りを求めるものではない。教会からお金をもらっている訳ではないので基本的に無給だよ。人によっては、お金をくれる人もいるし、そうでない人もいる。食事を用意してくれていたり、何か物をくれる人もいる。しかし、それらはお布施であって、給料ではない。だからこの仕事に見返りを求めてはいないんだ。」

そうは言いながらも彼がお金を必要としていなかった訳ではない。

彼が住んでいる家は、彼自身のものではなく、亡くなった兄から土地とともに譲り受けたものだ。決して大きくはなく、扉は木材が朽ちて外れそうで、トイレも家の外に穴を掘って木の枝とブルーシートで囲っただけの簡単なものだ。大きな車やテレビがあり、電気も水道も通っている家が少なくないこの地域で、彼は決して裕福な村民ではない。

キマンボさんはいつか自分の家を建てることを夢見て、土台となる大きな石を畑中から集めて一箇所に積み上げていた。それを使って家が建てられることを神に祈りながら。

 

有機農家としての暮らし

彼のこうした価値観は、農業に対する姿勢にも表れている。

キマンボさんは、農薬を一切使わず、家畜の糞を使った厩肥を中心に、地力を維持しながら、様々な農作物を栽培する。主食作物であるトウモロコシやインゲン、降水量が少なくなって栽培が難しくなってきているバナナやサトウキビ、マンゴーやアボカド、オレンジ、グァバなどの果樹に加え、さつまいも、ムクナ豆(八升豆)、ハイビスカス(ローゼル)、モリンガ…。実に多種多様な作物を栽培している。

様々な作物を栽培する理由は、「多様な食料を自給するため」である。主食作物のみならず、多くの野菜や栄養価の高い作物、薬用植物を栽培する。その中でもハイビスカスは、タンザニアでは、「血を増やす効果がある」と言われている。血流改善や、疲労回復など多様な効果・効能があるというハイビスカスに、レモン、生姜と少量の砂糖を加えたハイビスカスティーを、キマンボさん家族は毎日のように飲んでおり、僕も何度もご馳走になった。寒い時期に体を温めるにはぴったりだ。

ローゼル(ハイビスカス)を収穫するキマンボさん

こうした生活のためか、彼が体調を崩したり病気になったという話は聞いたことがない。

「健康でなくては意味がない。有機農業を村に普及させ、皆に健康になってもらいたいんだ。」「まずはボランティアが大切。得るもの(お金)は後からついてくるんだ。」そう言いながら彼は、村中の農家に有機農業の大切さを説いて回り、小学校には野菜の種子や苗を寄付し、有機肥料の作り方を教えるなどのボランティア活動を行っていた。

さて、僕と彼との出会いは、協力隊員として村に赴任してすぐの頃。村を歩き回って調査をしていると、多様なものが栽培されている、他とは違う畑を見つけた。そして彼に会って一緒に動くようになり、鍬を一緒に振るい一緒にご飯を食べ、僕とキマンボさんは次第に意気投合していった。

協力隊員には活動の「成果」を出すことが求められる。僕の場合、地域の農民の生活向上(所得向上)に資する活動が求められていたのである。

つまり、キマンボさんの農業所得の向上が、協力隊員としての僕の1つの使命でもあった訳だ。しかし、短期的な経済利益を優先しない彼の生き方は 、ビジネスには不向きであり、農業所得の向上や大きな経済的成功は難しく、活動としてどう彼と関わっていくべきか、頭を悩ませていた。

結果的には 、畑に大量に自生していたミニトマトを都市部へ販売することで、農業所得の向上に少しは貢献できたのだが、「まずはボランティアありきで、経済利益は他者からの善意によって与えられるものである」という価値観を持っている彼には、自ら販路を開拓して継続的・積極的な営業・販売を目指すビジネス型農業は不向きだ。

いつか大きなお金が入るように神に祈りながら、ボランティア活動を続けていても、彼の努力を評価し支援してくれる人が現れるまでは経済的成功は難しく、努力が報われる日はいつになるのだろうか…。そんな風に思いながら協力隊の任期を終え、僕は日本へ帰ることになった。その際、キマンボさん家族が盛大に送り出してくれたのは言うまでもない

そして、協力隊の任期を終えた1年後、なかなか成果を得ることが出来ない彼の生き方とタンザニアの社会に対する僕の見方を少し変える出来事があった。

協力隊の任期を終えた1 年後、修士論文の調査で再び僕はフカ村を訪れた。1年ぶりに村へ足を踏み入れたときのあの「帰ってきたなあ」という安心感と感動を今でも覚えている。村の知人たちに挨拶して回っていると、キマンボさんのことが話題に上がった。

「シュウ! お前、もうキマンボさんのところは訪問したのか?」

「いや、これから行くところだけど、どうして?」

「ついに彼の家が建ったぞ !」

「ホントに!?」

驚きと嬉しさを隠せなかった。キマンボさんにはとても家を建てるお金の余裕などなかったはず。一体どうやって…。

キマンボさんは、兄から譲り受けた質素な古い家に住んでいたのだが、親戚がそのことを不憫に思い、家を建ててくれたのだそうだ。

これに喜んだのはキマンボさんだけではない。僕はもちろん、近所の人たちもみな、「ついに彼の祈りが神に届いたんだ!」とまるで自分のことのように嬉しそうに話していた。

建設中の新居の前で。右奥に見えるのがキマンボさん宅。写真中央の男性はお客

誰かの幸せを皆で共有する。当たり前のことのようであるが、果たしてこの現代社会でどれだけそのことが「当たり前」になっているだろうか。

キマンボさんは言う。「誰かに助けを求める先に、誰かを助けなさい。人から与えられるのではなく、人に与えることを考えなさい。神はいつも我々を見守っておられる。そうした姿勢が評価され、きっといつか努力が報われる時がくるのだ。」と。

 

キマンボさんの努力の成果

協力隊員としての活動に邁進していた僕は、彼の本質や村の人々が持つ考えを十分に理解できていなかったのかもしれない。そんなことを考えさせられる出来事だった。確かに経済的自立や所得の向上は、何をするにもお金が必要な現代において重要だ。開発・援助の現場でもそれは疑いようもなく達成すべき目標である。しかし、他人の幸せを祈り、懸命に努力して生きてきた彼が、家を建ててもらえたのは彼の生き方そのものの成果と言えるだろう。そして彼の努力が報われたこの社会のあり方に村人たちもまた喜びを感じ幸せを共有できたのではないかと思う。

所得の向上や経済的自立は確かに重要だが、それだけではない社会のあり方を見つめ直すことができた。

彼はきっと今日も神に祈りを捧げているだろう。