第二夫人のほれ薬(タンザニア)

岩井 雪乃

カドゴおばさんは、50代後半の女性でムレンギじいさんの第二夫人だ。7人の子どもがいて、孫は今のところ8人いる。私が通っているタンザニア北部の村では、じいさんの世代(現在の60代以上)には複数の妻をめとることが当たり前だった。最近の若い世代では、キリスト教の影響や経済的な理由によって、すっかり一夫一婦が定着しているが、じいさんの世代では複数の妻がいることは、財力の象徴であり、家系の繁栄に必要なことだったのだ。

ムレンギじいさんとカドゴおばさん

 

ムレンギじいさんは、最終的に3人の妻をもらったのだが、第二夫人としてカドゴおばさんはどんな経験をしたのだろうか?おしゃべり好きなおばさんは、若い頃の話をよくしてくれる。おばさんが結婚したのは16歳の時だった。そのときムレンギじいさんがおばさんの父に支払った婚資は、牛24頭。近年の結婚の婚資が牛2頭ぐらいなのと比べるとたいへんな数で、お金にしたらものすごく高額ということになる。昔はこの地域では、もっともっとたくさんの牛が飼われていたので、婚資の相場も高かったそうだ。

そしておばさんは得意げに続ける。「ムゲシ(第一夫人)の婚資は20頭だったの。私の方が多かったのよ。それに初めの子どもを産んだのは、私の方が早かったんだから」 第一夫人は、結婚して2年ほど子どもができなかった。そこに第二夫人が高い婚資でもらわれてきて子どもまで生んでしまったのだから、第一夫人からの嫉妬は相当なものだっただろう。二人の間では夫の寵愛をめぐって、日々さまざまな戦略がくりひろげられていたそうだ。

その一つに「ほれ薬」というものがあった。「他の女友達と情報交換するの。あの薬が効いたとか、この薬はダメだったとか。だって、だんなに家に来てもらって面倒みてもらわないと、子どもたちと生きていけないじゃない?」 ほれ薬には、お守りのように身につけるタイプと服用するタイプがある。お守りタイプは、ネックレスのように首からかけたり服に縫いつけたりするもので、服用タイプは夫に飲ませるのである。

「夫に薬を飲ませる時は、気をつけなくちゃいけないのよ。実は、私はムレンギじいさんを、あやうく殺してしまうところだったのよ」 その昔おばさんは、友人の女性から「よく効くわよ」と勧められて服用タイプのほれ薬をもらった。さっそく、こっそりチャイ(ミルクティー)に混ぜて夫に飲ませようと思ったが、ふと不安がよぎり、その薬を犬の餌にまぜて犬にあげてみた。すると、犬が死んでしまったのだ。「天のお告げというか、何かを感じたのよね。あの時、犬で試さなかったら大変なことになっていたわ!それ以来、必ず犬で試してから使うことにしたのよ」 呪術的なおばさんの直観力でじいさんは無事だったが、その後も、安全を確かめたほれ薬を引きつづき飲まされていたようだ。

なんとまあ、複数の妻をもらうのは、夫の方も命がけでたいへんなことなのだ。なのでムレンギじいさんは、どちらの妻からも不満がでないように、公平にその子どもたちを世話するよう努力してきた。その甲斐あってか、カドゴおばさんより15歳年下の第三夫人をもらうことにしたときは、おばさんは冷静だったようだ。「私が妊娠や子育てで大変な時に、ムレンギじいさんの相手をしてくれてちょうどよかったわ」

当時の価値観では、より多くの牛とより広い畑をもつために、妻と子どもが多くいることが重要だった。しかしやはり一夫多妻は、夫婦の間にも妻同士の間にも緊張と葛藤を生じさせており、それを乗り越えるために構成員一人ひとりがさまざまな努力をしていたのだ。実際にカドゴおばさんのほれ薬がどこまで効いたのかはわからないが、葛藤の中を生きる女性の心の支えになっていたのは間違いない。そしてムレンギじいさんは、ほれ薬を飲まされていたことを、今でも知らないでいる。