アマタと私のサッカートランプ(タンザニア)

八塚 春名

ごはんを食べ終わるやいなや、さっきまで皿が置かれていたテーブルには、カードが並べられる。「きのうは、トンゴローが3、デゲラとウィアが1、ハルナは0、ボクは4!」とアマタは自慢げに言う。昨日の勝敗だ。この家では、夕飯が終わると、末っ子アマタの大好きなトランプにみんなが付き合うのが日課になっている。

そんなアマタも数年前まではトランプのルールを理解できない小さな子どもだった。そして、当時タンザニアに滞在し始めたばかりだった私も、日本と違うトランプのルールがわからなかった。年長の子にたびたび説明してもらっても、スワヒリ語があまり理解できなくて、結局ルールもわからない。いつも最後には「ハルナは見といてね」と言われるだけだった。一方のアマタは、遊び方がわからなくてもトランプが大好きで、月に一度だけ村で開かれるマーケットでは、毎月のように母親にトランプをせがんでいた。マーケットで売られているトランプや、アマタが持っているトランプには、世界の有名サッカー選手が印刷されていた。アマタはそれを一枚一枚めくっては、外国のサッカー選手を目に焼き付けていた。そんなアマタと同じく、遊び方のルールがわからない私は、「これがベッカム、これがロナウド、これが・・・」とアマタがめくったトランプに印刷されている選手の名前をいちいち声に出すことしかできなかった。しかしそのうちに、カードをめくっては、選手の名前を言い合うという、アマタと私ふたりだけの遊びが成立するようになった。テレビでかれらのプレーを見たことがなくても、こうしてアマタの目にはちゃんと、ベッカムやロナウド、ナカタが焼き付けられていった。

サッカートランプであそぶ。左端の黄色いゲームシャツを着たのがアマタ。

 そのうちに、アマタも大きくなり、私もスワヒリ語を理解するようになった。そして、ふたりともトランプのルールを覚え、みんなで一緒に遊べるようになった。私たちは、すでにぼろぼろになったベッカムやロナウドを手に、毎晩トランプを楽しんだ。そして、大きくなったアマタは、村の学校のグラウンドで、友達とボールを追いかけて、サッカーを楽しむようになった。週末に行われる青年サッカーの試合には、友達と連れ立って応援に行き、サッカーの試合がテレビで見られると聞けば、夕飯も食べず、トランプも放ったらかして、村で唯一のテレビを見に教会へ出かけていくようにもなった。

私はと言えば、その後、スワヒリ語のラジオを聴けるようになり、ナショナル・チームのサッカー中継があれば、アマタたちと一緒にラジオに耳を傾けるようになった。試合が近づくと、ラジオは一転してサッカーモードへ切り替わる。サッカーの応援歌ばかりが流れ、試合はいつ、どこで、何時から始まる、絶対に見逃すな、聞き逃すな。耳にタコができるほどにDJが言う。そんなある日、気が付いた。ラジオで私の名前が叫ばれている。「ハルナ・モシ」。タンザニアで最も人気のサッカー選手だ。彼にひとたびボールがわたれば、実況アナウンサーは期待を込めて、彼の名前を叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。それ以来、私はどこへ行っても、「ハルナ・モシと同じハルナです」と言えば、絶対に名前を忘れられることはなかった。「あれ、でも、女の子だよね?」と、すごく驚かれたけれど。

友達とサッカーを楽しむアマタ。

 2010年のワールドカップを南アフリカで開催することが決まった直後、私は、ひとつの新聞記事を切り抜いた。その記事には、アパルトヘイト時代の南アフリカを題材にした映画「遠い夜明け」にちなみ、この決定もひとつの夜明けかと思ったと書かれていた。さらには、混乱が続くイラクが2004年に開催されたアテネ五輪でサッカーへの出場を決めたことにも触れ、当時のイラク代表監督が「今のイラクにサッカーより大事なものがあることは私も知っている。安全がなく、子供が死に、連日テロが起きる、それでも、イラク人はサッカーを必要としている」と語ったこと。そんなことが綴られていた(注)。

あれからもうすぐ6年。イラク同様、アフリカだって、サッカーなどと騒いでいる場合じゃないだろうと呆れる人もいるかもしれない。最近では、アンゴラで開催されているアフリカ・ネイションズカップへ参加するために隣国コンゴ民主共和国から国境を越えたトーゴの選手団が、武装集団に襲われるという悲惨な事件もあった。アマタが暮らすタンザニアの村は農業で生計を立てていて、生活状況は天候に大きく左右される。去年は雨が降らず、作物の収穫量が減った。今年は大雨で、木と土でできた家が数軒つぶれてしまった。毎年、毎月、毎日、挙げればキリがないほどに、さまざまなごたごたがやって来る。そして、そんなごたごたは、サッカーによって直接解決できるわけじゃない。でも、紛争や飢餓についての多くの報道からは伝わらないアフリカの底力を、サッカーに熱中する姿や、開催を支える大勢の人たちの姿によって、伝えられるかもしれない。アフリカだって、サッカーを必要としている。

アパルトヘイトのような暗い歴史をもつ南アフリカが、このワールドカップによって、世界中の人びとに新しい南アフリカ像を刻むことができればと思う。きっとアマタは、小さなラジオにかじりついて、トランプで目に焼き付けた選手たちを応援することだろう。そして私は、アマタもきっと応援していると遠いタンザニアに想いをはせて、テレビ観戦することだろう。

注:朝日新聞『天声人語』 (2004年5月17日)。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。