医者はなくとも子は生まれる (タンザニア)

藤本 麻里子

タンザニア西部、タンガニイカ湖畔の村々では、村に一つ診療所があれば良いほうで、無医村もまだ多数ある。湖畔に住む人々は、病気や怪我で緊急に大きな病院に行かねばならないときは、街まで丸2日ほどかかる船外機付ボートに乗るか、週に1度だけ就航しているフェリーの運航日を待ち、街まで移動する。そんな地域ではお産のために緊急入院なんてことも困難だ。そこで、村に住む女性の多くは、妊娠が判明すると出産の1ヶ月くらい前から街に行き、親戚の家に身を寄せながら入院する日を待つ。そして、いよいよ出産が近づくと入院して出産する。つまり、村人の多くが近年では日本と同様に病院でのお産を選択する。

ところが、タンガニイカ湖畔から内陸に入った山奥の集落では、街まで自動車が通れるような道路もなく、湖畔の村までも歩いて1日かかるような地域で生活する人々もいる。そんな集落にはやはり診療所もなければ医者もいない。しかし、この地域で昔から重要な役割を果たしているのが呪医だ。呪医とは、自然の植物から作った薬と精霊からの助言を頼りに、病気や怪我以外にも、例えば恋愛の悩み、仕事の悩み、人間関係の悩みなども解決してくれる存在で、多くの人々が様々な相談を抱えてやってくる。出産に関しては、呪医が技術的に必要とされているというよりは、また別の側面がある。この地域に住むトングウェの人々は、双子は強い精霊を持っており、出産後にンゴマと呼ばれる太鼓を用いた伝統儀礼を行なってお祓いをしなければ災いが起こると信じられている。ンゴマさえ執り行えば、双子はとてもおめでたいものとして人々から歓迎される。昔ながらの伝統、風習が数多く残るこのような地域では、呪医はあらゆる場面で人々から必要とされているのだ。また、呪医とは異なり、出産を助けることを仕事とする助産師も呪医同様に人々から尊敬と信頼を受けている。出産そのものを技術的にサポートするのはこちらの助産師だ。

そんな内陸部の、いわば陸の孤島のような地域に滞在したときだった。私は一人の妊婦と出会った。彼女は臨月に近い大きなお腹をしながらも日々の重労働を毎日こなしていた。

臨月近くなっても重労働をこなす母親

 その彼女がある日の夕方、私が滞在していた呪医の家にやって来た。「もうすぐ生まれそうだからここに来たのよ。」とのこと。その家は、彼女にとって夫の実家でもあり、舅が偉大な呪医なのだ。そして彼女の夫もまた呪医である。彼女は出産が近いからと、普段生活している家から徒歩で40分ほどの道のりを歩いて夫の実家にやってきた。そして驚いたことにその日の夜半、0時半頃に彼女は元気な男の子を出産した。翌朝、いつものように目覚めた私は「生まれたのよ!」と周囲の人々に聞かされて驚いた。病院も医者もいない場所で、どうしてそんなに正確に出産日がわかるのだろう!!自宅で産むことに彼女たちは抵抗がないのだろうか!と。

出産から12時間ほどしか経過していないお昼頃、私はその母子の様子を見に、彼女たちが休む部屋を訪れた。出産後の衰弱は見られたものの、彼女は自分の足で歩き、身の回りの細々した用事をこなしていた。赤ちゃんはといえば、まだへその緒がついた状態で、彼女の舅の母、つまり赤ちゃんの曾祖母によって沐浴させられていた。生まれて12時間足らずの赤ちゃんを見るのが初めての私が恐る恐る近づくと、その曾祖母が私に赤ちゃんを抱かせてくれた。まだ見えていないであろう目を見開き、じっと私を見つめているかのような表情を浮かべながら赤ちゃんはしきりに自分の手を口に運んで指を吸っていた。きっとお母さんのおっぱいが吸いたいのだろう。

まだへその緒のついた曾孫を沐浴させる女性

 自宅出産後の母親は周囲の家族や親しい人々に支えられ、出産後の体力が回復するまではのんびりと過ごす。赤ちゃんは、1週間は戸外に出さずに家の中で授乳と休息を繰り返すとのこと。出産経験のない私は、生き物にとって自然な営みであるはずの出産を得体の知れない恐ろしい出来事だと漠然と思っていた。しかし、病院も医者もなしで助産師と親しい人々に見守られながら無事に元気な赤ちゃんを出産した彼女を見てその恐怖心は憧れへと変化した。いつか彼女のように親しい人に見守られながら子どもを産んでみたいと思わずにはいられなかった。そして彼女に尋ねてみた。「病院じゃなくて家で出産するのは怖くない?」と。彼女は事も無げに言った。「もう5人目だし、これまでもいつも家で産んでるからもう慣れてるわ。出産は病気でもないんだから、お産のことをよく知ってるおばさんたちさえいれば、何の心配も要らないのよ。第一どうやって病院まで行くっていうの?」と。その逞しい言葉にはとにかく説得力があり、私には返す言葉が見つからなかった。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。