「イジり」と「自虐」と犬のネタ-「笑う」

牛久 晴香

笑いにノレない時がある。とくに「イジり」と「ブラックジョーク」が苦手だ。関係性によっては許されるのだろうが、自分には笑う資格があるのだろうか、とか、どこが面白ポイントなんだろう、などと考えてしまう。「自虐ネタ」にノるのもヘタクソで、時間が経ちすぎる前に何か言わなきゃ……と悩んだ結果、出てきた言葉は強めの「そんなことないよ!」。逆に相手に失礼ですらあると頭では分かっているのに、気の利いた返しができない。

日本でもこんな調子だから、ガーナでももちろんノレない。フィールドで一番困るのは「犬ネタ」だ。わたしがお世話になってきたグルンシの人たちは、ダガーバ(ダガーティ、ダガーレともいう)という人たちと冗談を言い合う関係にある。たとえば両者が酒場で居合わせたら、全くの初対面でも、どちらかが相手に向かって「犬の頭(baa zuo)!」と喧嘩でも吹っ掛けるような勢いで叫ぶ。言われた相手はそれに対して「犬の卵(baa gyele)!」と応酬する。二人は腹を抱えて大爆笑。犬は卵を産まないのにそのように返すのが面白いらしいのだが、わたしにはさっぱりわからない。「その悪口なんやねん」的な、ありえない言葉の組み合わせが生み出すおかしさなのだろうか……。

グルンシとダガーバが冗談を言い合うのは、民族は違っても近しい関係にあることを互いに確認しあうためだという。ガーナではグルンシはアッパーイースト州、ダガーバはアッパーウエスト州に暮らしているが、どちらも西アフリカサバンナでは周縁的な地域に位置する。彼らによれば、グルンシとダガーバはずっと昔は1つのグループだったが、何らかのいさかいをきっかけに居住地を違えて別グループになったらしい。2グループに別れた後も北のイスラーム系王国の人びとは彼らを「グルンシ」と総称していたが、その意味は「犬を食う者」、すなわち「異教徒」であったという。暗い話にはなるが、両者とも北からの奴隷商人による「奴隷狩り」の対象とされた人びとである。のちにアッパーイースト州側のグループは、もともとの自称を使うのを止め、自らグルンシと名乗るようになる。

他者からの蔑称を自称にしてしまうグルンシもすごいが、犬をネタに親しさを確認するグルンシとダガーバとの関係も興味深い。「犬の卵」のやりとり以外にも、彼らの冗談には犬が多く登場する。グルンシとダガーバが喧嘩別れしたのは犬の調理法の好みの違いが原因だ*とか、「お前は犬のあごだ」という悪口(?)が鉄板ジョークであるとか。犬を用いた「イジり」ならば冗談である、という了解が両者の間にあるようだ。冗談にあえて犬を使うのも、北の「彼ら」から「われわれ」に対して向けられた蔑みを、逆にネタにしているように思える**。もう一歩ふみこむと、北の「彼ら」は自分たちを犬と絡めて蔑んだが、「われわれ」の間で蔑みあうことは絶対にない、というある種の「ありえなさ」を前提に成り立っている笑いのように思えるのだが、飛躍しすぎだろうか。

そう考えると、イジりもブラックジョークも自虐ネタも、その場で笑った方が「あなた/その人のことをそんな風に思うなんてありえない!」というメッセージになるのかもしれない。でもきっと、こんなことをうだうだと考えている時点で明日もわたしは笑いにノレないのだろう。笑うって、難しくて、奥が深くて、面白い。

*少なくともグルンシの地域では今も犬肉は売られているが、犬食を忌避する人の方が多くなっている。
**あくまでも筆者の解釈である。グルンシとダガーバの関係については少しずつ伝承の聞き取りが進んでおり、犬にまつわる冗談の由来に関して全く違う解釈を提示している人もいる。