話さなくても、つながっている―「話す」

牛久 晴香

「ハロー、アニャリガマ。今どこにいる?」

「今は〇〇村にいるよ」

「そうか……(誰かと会話している声)……」

「……(黙って会話が終わるのを待っている)……」

ブチッ、ツー、ツー、ツー。

 

ガーナにいると、毎日電話がかかってくる。電話の主は、TBという輸出用バスケットの仲買商人だ。彼とはもう10年以上の付き合いで、フィールドにいる間、3日に2度は会っている。一日中行動を共にすることもしばしばだ。
わたしにとってTBは最も親しい友人の一人だが、彼の電話の仕方には長らく慣れなかった。電話が切れたのは、電波が届かなくなったからではない。ほかの人との通話に乗り換えたのだ。

ご存じのとおり、アフリカでは2000年代以降、急速に携帯電話(以下、ケータイ)が普及した。かなりの遠隔地でもケータイが使えるようになり、国民のケータイ保有率が100%を超える国が多いことも、アフリカに興味のある方には周知の事実だろう。ケータイの普及によって、離れて暮らす家族の声を聴けるようになったり(八塚春名「なぞだらけの携帯電話(タンザニア)」)、物理的な距離も国境も超えて政治運動や経済活動を展開するようになったりしている(丸山淳子「カラハリ砂漠でもケータイ」(アフリカ日本協議会HP)より)。

わたしのフィールドであるガーナ北部のボルガタンガ地方では、近ごろスマートフォン(以下、スマホ)の2台持ちが流行りはじめている。この地域では、MTNとVodafone以外の電波は入りにくい。アフリカのスマホはSIMカードを2枚挿せる「ダブルSIM」の機種が多いので、接続だけを考えれば1台で用は足りる。では、なぜ2台持つのか?その理由は、第一に、忙しいビジネスパーソンにとっては仕事上の必須アイテムであるから。ボルガタンガのビジネスパーソンといえば輸出用バスケットの仲買商人や卸売企業だが、彼らのケータイは常に鳴りつづけている。ボルガタンガの人たちは、用事があってもなくてもすぐに電話をかける。とくに多くの村人と仕事をしている商人が1台しか電話をもっていなければ、彼の電話はずっと通話中になってしまう。

第二に、若い男性はそうしたビジネスパーソンにあこがれがあるから。アフリカの人たちはゆったりのんびり暮らしていてそれを是とする価値観がある、というイメージがあるが、少なくとも2010年代以降のボルガタンガの人たちは、そのようには暮らして(暮らせて)いない。むしろ、せかせかと忙しく働いている方がかっこいいという考え方になってきている。そのような価値観が生まれつつあるなかで、スマホ2台を駆使して働くビジネスパーソンは一種のロールモデルだ。だから仕事上の必要性はなくても、とくに20代から40代の男性は、少し無理をしてでも2台目のスマホを買おうとする。

では、スマホを2台持つようになると何が起こるのか?片手で誰かに電話をしながら、もう一方の手で別の人に電話する、「二重通話」が行われるのだ。冒頭のTBからの電話は二重通話だった。聖徳太子のように内容を聞き分けているのかと思いきや、どちらの話もたいして聞いていない。そしてたいていの場合、どちらか片方との会話がないがしろになる。

わたしは二重通話をされるのが嫌いだった。あっちからかけてきたくせに何なの?会話する気がないなら電話しないでよ。せめて用事が終わってからかけてくれればいいのに、何で今かけてきたの?そんなモヤモヤとした気持ちになるのが嫌で、TBからの電話を無視したことも一度や二度ではきかない。

でも10年経った今なら分かる。たぶん、話をすることが重要なのではない。電話をかける行為自体に意味があるのだ。電話をかけることは、「あなたのことを今思い出したよ、考えていたよ」というシグナルだ。それはひるがえって、相手に自分のことを思い出させることにもなる。それがTBの、そしてみんなの「つながり」の確認方法なのだ。

マメに電話をかけるTBの傍らには朝から晩までいつも誰かがいる