不安をコントロールする

桐越仁美

2020年からアフリカに渡航できておらず、友人たちには長らく会えていない。安否確認も兼ねて、時折ニジェールやガーナの友人とWhatsAppやFacebookで通話をする。新型コロナウイルス(COVID-19)の感染状況はどうか、家族はみな無事かと確認する私に、電話口の友人はいつも「こちらは水際対策もしっかりしているし大丈夫だ。国内の感染者も少ない」と落ち着いた様子だ。

私はというと、「日本はどうなんだ」と聞く友人に対して「そのうちワクチン接種が広まればね」と少しはぐらかしたような言い方をしてしまう。私の歯切れの悪い言い方を受けて、友人たちはいつも「日本は大丈夫だ。日本の医療はずいぶんしっかりしているだろ?」と明るく切り返してくる。「そんなことより、コロナが落ち着いたらすぐに日本に商売しに行くから、その時は彼女になってくれそうな女友達を紹介してくれ」なんて軽口をたたいたりする。

2021年5月現在のCOVID-19による累計死亡者数は、ガーナで約800人、ニジェールで約200人である。日本の累計死亡者数は2021年5月22日現在で1万2203人なので、日本に比べればかなり少なく抑えられている。とはいえ、いまだ感染者は出ている状況なわけで、こちらは身近な人に何かあってはと心配をして電話しているのに、「そんなことより」とはなんだ!しかも「女友達を紹介しろ」だなんて!とイラつくこともしばしばだ。

そうは言いつつも、私はいつもその明るさや楽観的な考え方に元気づけられている。さまざまな情報に翻弄されて疲弊しているし、身近なところで感染者がでていて、私の周囲の会話はいつも暗くなりがちだ。感染者数や死亡者数が大きく異なるので、COVID-19のとらえ方が日本人と違うのは当然なのだが、友人たちの冷静さや明るさの要因は、感染状況の違いだけではないだろう。私がそう思う理由はいくつかあるが、もっとも大きいのは2013年と2014年の経験だ。

2013年と2014年は、私にとっては印象深い年だった。2013年はニジェールでの調査中に、隣国のアルジェリアでイスラーム過激派による天然ガス精製プラント襲撃事件が起き、日本人も10名が亡くなられた。私は、外務省によるニジェールの危険レベルの引き上げに合わせて帰国を選択した。また、2014年は西アフリカでエボラ出血熱の感染が拡大した。博士論文の執筆を視野に入れていた私は、西アフリカから次々と人びとが帰国するなか、現地調査を決行するためにガーナへと渡航した。

私は日本とアフリカの双方の地でこれらの出来事を経験したが、日本にいたときの方が落ち着きなかった。現場から遠く離れていたにもかかわらず、強い不安感や焦燥感があった。ニュース番組に加えてネットニュースやSNSを逐一チェックし、SNSやブログにまで手を広げて情報を収集した。当時のSNSには、イスラーム過激派やエボラ出血熱に関する様々な憶測が投稿されていた。私はそれらにまで手を出しては、必要以上に不安を増幅させていた。

一方、ニジェールやガーナにいたときは、ネット環境が日本ほど良くなかったこともあり、自然とSNSを見る機会が減った。その時は、家に置かれた小さなラジオから流れてくるニュースや友人からの情報が主要な情報源だった。日中は調査に専念し、夜は受け入れ先の家族や友人と西アフリカの状況について語り合い、寝る前は日記を書きながら頭を整理した。不安が消えることはなかったが、静かに不安と向き合うことができた。

ニジェールやガーナで不安と向き合うことができたのは、ネット環境が良くなかったからではない。周りの人と同じように過ごし、考えを共有していたことが私を冷静にさせていた。ニジェールでもガーナでも、家族や友人がよく語っていたのは「慌ててはいけない」「しっかりと状況を見なければいけない」ということだった。

詳しく聞くと、これらの言葉は1970~80年代に生じた大規模な干ばつの経験をもとにしていることがわかった。もう半世紀ほど前の出来事であるが、干ばつはいまだに人びとの記憶に色濃く残っている。干ばつによって不作が続き、各地で食料が不足した。「あの村にはまだ食料が残っている」と噂が流れると、暴徒化した人びとがその村を襲撃することもあったという。そういった経験から、彼らは情報に振り回され、慌てることの恐ろしさをよく知っているのだ。

「みなが苦しいときに慌てて何になる?変に騒ぎ立てても、問題や犠牲が大きくなるだけだ」

「問題が生じると、たくさんの情報が行き交う。でも、なかには事実でないことも含まれる。冷静に見極めなければならない」

彼らの言葉は、ざわめき立つ私の心に静けさを取り戻してくれたのだった。

ニジェールやガーナの友人が冷静に、そして楽観的にCOVID-19をとらえているのは、干ばつをはじめ、いくつもの困難を乗り越えてきたことに由来しているのだろう。西アフリカでは今でも度々不作に見舞われ、それに呼応するようにイスラーム過激派の動きは活発になる。常に不安と向き合っている彼らだからこそ、自らの不安をコントロールする方法を知っているのではないだろうか。

「だいたい、エボラやコロナが取り上げられるけど、マラリアの方がたくさんの子どもの命を奪っているんだから」

電話の向こうの友人は飄々と言った。そうだ、目先の情報だけにとらわれてはいけないと、はっとさせられた。まだしばらくはコロナ禍の生活が続くだろう。私はもう一度、自分のなかの不安と静かに向き合う時間をつくらなければならない。

写真:帰国を決めた筆者を見送る村人たち(2013年ニジェール)