『セネガルの宗教運動バイファル――神のために働くムスリムの民族誌』池邉智基=著

紹介:池邉 智基

本書は、西アフリカ・セネガル共和国のイスラーム神秘主義教団「ムリッド教団」の、内部に構成された集団「バイファル」を対象に、その組織構造と宗教実践、そして教義について明らかにした民族誌である。

バイファル(Baye Fall / Baay Faal)は、一般のムスリム(イスラーム教徒)とはいくらか異なる宗教生活を送っており、礼拝や断食をせず、宗教的な導師のために「働く」という特徴がある。都市部では器を持って路上で托鉢をするバイファルの姿がしばしば見られる。パッチワークの奇抜な服装とドレッドヘアーといった出で立ちのバイファルは、オフィスビルや商業施設が立ち並ぶダカールの街中で一際目立つ存在である。彼らは道行く人びとに声をかけて献金を募るが、多くの人は無視をしたり拒否的な反応をしてバイファルをかわしていく。それでもバイファルは声をかけ続け、宗教活動のための献金を求め、ビル街や住宅街を歩き回る。こうしたバイファルの托鉢は数ある「労働」の一種であり、農村部では独自の宗教コミュニティを形成して農作業をするなど、さまざまな実践形態を持っている。

バイファルが属するムリッド教団とは、1880年代後半、フランスによる植民地支配が進むセネガルで成立した教団である。アフマド・バンバ(1853-1927)というイスラーム知識人を開祖とし、「神への奉仕」という倫理的な思想とイスラーム教育を日常的に実践していく宗教的な共同体が農村部に作られた。その中でバンバの弟子の一人イブラ・ファル(1858-1930)は、バンバを崇拝するあまり、礼拝や断食をする時間さえ惜しみ、彼への「奉仕」として水くみや炊事、農作業などさまざまな「労働」を行っていった。イブラ・ファルの生き方は多くの弟子から批判を受けたが、バンバはイブラ・ファルを異端とはみなさず、むしろ彼こそが「神への奉仕」を究極的に実践している人物として認めた。イブラ・ファルのもとで農作業や炊事など宗教コミュニティの運営に携わる信徒たちも増えていき、いつしか彼らはバイファルと呼ばれる集団となっていった。

こうした背景から、現在のバイファルたちもイスラームの基本である礼拝や断食を行わない。イブラ・ファルのように導師のために献身的に「奉仕」するという宗教的規範はムリッド教団全体に共通して存在しており、特にバイファルは身体的な方法で「労働」をするということで「奉仕」を実践している。バイファルは礼拝や断食をしない一方で、夜に行われる朗唱儀礼ズィクルで「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神はなし)」を集団で熱唱したり、ラマダン期間には断食中の信徒のための食事の準備をする。

「働き者」というイメージがあるバイファルはセネガル国内で評価されている一方で、「逸脱的」な要素を持っているために批判も少なくない。このように明らかに異質なイスラームに見えてしまうバイファルの存在について、筆者は大学院に入学してから論文やインターネットの記事などを通じて興味を持ち、バイファルを対象に調査することに決めた。セネガルで現地調査は、首都のダカールで見かけたバイファルに覚えたてのウォロフ語で声をかけることから徐々に進んでいった。調査を続けていく中で、ダカールだけでなくセネガル各地へバイファルたちと共に足を運ぶことになった。各地でさまざまな人の話を聞く中で、バイファルの「労働」実践は托鉢だけでなく、共同で農作業をしたり、祭の運営をしたりと活動が多岐に渡ることがわかってきた。

多くのセネガル研究では、バイファルが一般にイメージされるムスリムとは大きく異なった特徴があることを、セネガルの伝統宗教と混じり合ったものとみなすのみで、それ以上の詳細な分析はほとんど行われてこなかった。たしかに奇抜なバイファルの見た目や宗教生活は「イスラームっぽく」見えないし、それこそが私がバイファルに興味を持った理由でもある。そもそもサハラ以南アフリカのイスラームは全体的に、「真なる」、「純粋な」イスラームとは異なり、独自の解釈として「アフリカ的なもの」が内包されているという認識が多くの議論の出発点になってきた。そうしたイスラームであるか否かという本質主義的な見方は、セネガルのイスラーム文化について記述する上での問題点を常に孕んでいたのである。

本書では、バイファルをイスラーム的な解釈のひとつとして説明を試みている。第一部では、ムリッド教団の歴史的背景、バイファルの宗教思想と生活様式などの論点から、組織構造について説明している。また、第二部では、都市部で行われる托鉢実践を対象に、集めた献金の使用用途や組織におけるミクロな実践形態を解明する。そして第三部では、信徒に対して行われる祭におけるウォロフ語の説教「ワフターン」を録音・翻訳し、バイファルたちの宗教活動に必要な献金を促すような効果的な語り方や論理構成について分析している。バイファルの民族誌である本書を、セネガルの人びとの生活に根付いたイスラームの在り方を見通し、記述するひとつの方法として読んでいただければ幸いである。

書誌情報

出版社:明石書店
発売日:2023年3月31日
言語:日本語
単行本:260ページ
ISBN-10:4750355542
ISBN-13:9784750355542

目次

凡例
まえがき
序章
第1章 セネガルのムリッド教団とバイファル
第2章 バイファルの教義と実践
第3章 「労働」としての托鉢
第4章 組織と「命令」
第5章 修辞的な理由づけ
第6章 聞こえない権威の声
第7章 ワフターンにおけるテクストとしての過去
終章 バイファルの組織、教義、実践
あとがき
引用文献
索引