カメルーンの手洗い文化

大石 高典

新型コロナウイルスのパンデミックが続く中で、私が通い続けているカメルーン東南部の森の世界からも、政府やNGOなど様々な主体によって行われる予防対策の様子が現地の友人・知人からSNSで送られてくる(写真1)。 アフリカでは手洗いの習慣は根付いていないのではないかと思われるかも知れないが、実態は地域や文化によってさまざまである。そもそも安定して水の入手が困難な乾燥した地域では、水で手を洗う機会や頻度は限られているだろう。しかし私が通う熱帯林地域のように水が豊富な地域では、一日に何度も手を洗ったり水を浴びている人は少なくない(都市や田舎での水浴びについては、「昼下がりの水浴びの楽しみ」「日本の汚い・ベナンのきれい」の記事を参照)。ここでは、コロナ禍以前に私が見たカメルーン農村部での手洗い事情について紹介してみたい。

写真1 ローカル先住民NGOがバカ・ピグミーの集落に、手洗い用のバケツとマスクを届けている様子(2020年6月12日、カメルーン東部州)。手前左が多くの日本人研究者の研究補助を勤めてきたチャーリーことンソンカリ・チャールズ=ジョーンズ氏。

 私が住み込んだカメルーン東南部のドンゴ村には、狩猟採集民のバカ・ピグミー、農耕民のバクウェレ、それに商業や農業を営む15民族が暮らしていた。その中では、とりわけ北カメルーンやナイジェリア出身のハウサやフルベなどイスラム教徒の人たちが手洗いに熱心だった。彼らはどこに行くにも専用のプラスチック製の「やかん」を持ち歩き、一日三度の食事、一日五回のお祈り、それ以外にも機会ある度に何度も手、足、顔、それにサンダルの細部まで洗っていた。いつでもどこでも手洗いと足洗いを欠かさない。私の目には潔癖症なのではないかと映ったくらいに清潔好きな人々だと言えるだろう。バカ・ピグミーやバクウェレの人々も、かれらほどではないが、朝一番には必ず、手桶一杯ほどの水を使って顔と手を洗っていた。このように、ちいさなコミュニティの中でも手洗いには文化差やこだわりの違いがある。
 感染症対策として気になるのは、水だけを使った手洗いの回数よりも、石鹸を使って洗っているかどうかである。現金収入の少ない人々にとっては石鹸は貴重品で、持っていても手洗いの際に毎回使われるとは限らない。カメルーンで広く流通している石鹸にはいくつか種類がある。どこでも入手可能なのは、一見すると巨大なキャラメルかと見間違えるような、おうど色や茶色、あるいは黒色をしたおよそ10㎝角の立方体ブロックの形状の石鹸(フランス語で「サボン」とか「サブン」と呼ばれる)である(写真2)。

写真2 カメルーンでは、AZURやMAYORのブランドが有名である。食用油会社が製造・販売するMayorブランドのサボンの宣伝動画は以下から見ることができる。
URL: https://www.youtube.com/watch?v=5VKHc-lWyds&t=39s

 サボンは、一塊で250~500フラン・セーファ(50~100円)前後する。つかんでみて、ある程度固いものの方が長持ちする。サボンは身体、髪、衣類、食器などあらゆる物を洗うのに使われる。柔らかすぎるサボンでは、洗濯ものをしているとすぐに溶けてなくなってしまう。そこで、少しでもサボンを長持ちさせるために使った後に日に干すのだが、時々ちょっとした悲劇が起きる。村で放し飼いのブタに嗅ぎ付けられたらサボンを食べられてしまうのだ。添加物が少ないのか、サボンは一部の動物を惹き付けるようだ。友人に「サボンを分けてくれ」と言われてあげたら、ナマズ釣りの餌になっていたということもよくあった。サボンのサイコロは、大型のヒレナマズに効くとっておきの餌なのである。漁労キャンプでは、稀少なサボンを水浴びに使うかナマズに使うかは、悩みどころである。
 このタイプの石鹸は、今の日本では見慣れないが、フランスのマルセイユで街を歩いていた際に、カメルーンで売られているのと全く同じ形のものが売られているのを見た。南仏はブロック形石鹸の産地として有名なようだ。カメルーンには、おそらくフランスの委任統治期だった頃に導入され、定着したのだろう。
 日本で多くの人に馴染み深いと思われる香料入りの美容石鹸は、サボンに比べると高級で村では見かける機会は少ない。感染症予防の殺菌剤入りのものや肌を白くする効果を謳ったものが売られている(写真3)。一日に1回か2回、水浴びをするが、身体を洗うのにはなるべく節約して使わないでおいて、水浴びの後の身体に石鹸を薄く塗り付けるのもよく見かけた。つまり、石鹸は洗うだけではなくて、香りを楽しむのにも使われているというわけだ。私自身は、洗った後の皮膚はツルツルしている状態を好むので、ヌルリとした感触が残るのはちょっと無理だなあと思ってしまうのだが、おそらく制汗剤のような感覚で付けているのかも知れない。

写真3 2000年代後半から人気が出たMEKAKOのブランド。真っ黒いUFOのような形をした石鹸だが、感染症予防ができて、肌が白くなるというので多くの人が買い求めた。一時は、パッケージや形を似せたパチモンのMEKAKOも出回った。

 他に手洗いがよく見られる場面は食事である。フィールドワーク中の食事では、友人やその場に居あわせた仲間と、煮込み料理の入った鍋と主食のキャッサバの練り粥やバナナが盛られた大皿を囲みながらわしづかみで食べることが多かった。食事と一緒に、必ず回ってくるのは手洗い用のバケツに入った水と小さな石鹸である。好みの食材の場合は、はやる気持ちを抑えて手洗いを急いで済ませてから食べた。食後にも手を洗う。料理ができたての時は手でつかむと熱くてやけどしそうなこともあるが、楽しい時間である。
 アフリカからの帰りにはトランジットと文献調査を兼ねてヨーロッパの都市に寄ることも多い。私は、パリの町外れのカメルーン人が経営する小さなレストランに寄るのを楽しみにしていた。あるとき、その店でいつものように村にいるのと同じノリで手を洗い、手づかみでキャッサバの練り粥をオクラソース(アフリクック「カメルーン式オクラのソース」のレシピを参照)につけて頬張っていたら、居合わせた家族連れの子どもから、露骨に「汚い」と言われたことがあった。その子はカメルーン出身者の移民第2世代で、フランス生まれのフランス育ちなのだという。私が間違った不衛生な食べ方をしていると主張する娘に、父親は、私の食べ方はマナー違反ではないこと、練り粥は手づかみで食べるのが本当なのだと教えていたが、娘は得心がいかない様子だった。私はその子に、一度手で食べてみたらどうか、おいしいよと言った。
 科学的なよそおいをして、「きれい/きたない」を区別する価値観を世界中に広めてきたのが近代なのであろう。数十年にわたり琵琶湖周辺の住民の水環境との関わりを調査してきた嘉田由紀子は、日常生活の中での関わりが希薄になったり、消滅すると、水や水辺への「汚れ」や「きたない」という認識が抱かれ易い傾向があることを指摘している(嘉田 1994)。有機物濃度など測定可能な物質の濃度は別に、「きれい」かどうかは見る側の認識枠組を反映しているだけで、私たちが生きる世界は、きれいな部分と汚い部分に割り切れるようにはできていないはずである。非常事態宣言の続くなか、手を洗う度に、ため息と共にカメルーンの村でのごはんを思う日々が続く。

引用文献:
嘉田由紀子(1994)「水汚染をめぐる科学知と生活知」、掛谷誠編『環境の社会化』雄山閣出版。213-235頁.