ムスリム商人たちとの甘苦い茶の時間(カメルーン)

大石高典

毎日夕方になると、てくてくと村の中をぬけて、バケツとセッケンをかたかた鳴らしながら水浴びに出かけるのは楽しい日課だ。調査基地から徒歩10分はかからないはずの村はずれにある、無料の銭湯ならぬ砂地の川への往復が、時に2時間を越えてしまうことがある。集落のあちこちで呼び止められたり、あいさつしたりしながら歩くからである。ぶらっと歩きは、一見むだに思われるかもしれないが、目的をはっきり定めた調査とは異なる発見のある時間でもある。最近、水浴びの帰りに立ち寄る機会が増えたのが、ムスリム商人たちのお茶の輪である。そこで勧められるのが、アツアツに熱され、溶解度限界に砂糖を溶かした甘苦い茶である。

【写真1】 村のキオスクで日用品の販売をおこなうブバさんと娘たち。カメルーン北部のマルアの出身。

カメルーンでは、北部に乾燥した地域、南部に湿った地域があるが、私がよく滞在調査をするのは熱帯雨林の卓越する湿った地域である。熱帯雨林に数百年、あるいは数千年以上も前から住んでいる住民には、焼畑農業を中心に様々な活動を行うバンツー語を話す人々と、狩猟採集を得意とするピグミー系の人々がいる。私の調査している村では、これらの人々に加えて、乾燥したカメルーン北部地域を中心に、ナイジェリア、マリ、セネガルなどからはるばる出稼ぎに来て、そのまま村に定着するムスリム商人が最近増えている。こういった人々は、台所用具など生活用品をあつかう小規模な商いをおこなうほか、ナッツ類、香辛料、一部の薬用植物などの森林産物の買い付けをおこなう(写真1)。ニジェール川など氾濫原地域出身の人では、得意の漁労をおこなう者もある(写真2)。国際価格の上昇しているカカオ栽培に参入して、ひと儲けを夢見ている者も多い。

【写真2】 はえ縄漁具の手入れをするイブラヒムさん。

そうしたムスリム商人の多くは、ハウサ人、フルベ人などの男性である。未婚であるか、既婚であっても配偶者は遠い故郷に残していることが多い。宗教上の理由で酒は飲めない。そんなかれらが、午前中の仕事を終え、午後の日が傾くころになると、三々五々に集まってきてお茶をするのである。独特な形をした小さな薬缶、100mlも入らない小さな金属製のコップ、やはり金属製のお盆を用意する。これまた小さい七輪に炭火をおこし、件の薬缶に中国製発酵緑茶をたっぷりと入れて、沸騰するのを待つ。沸かせたまま、ぐつぐつ煮る。ここで角砂糖が箱入りで登場する。ミニコップを2つ並べ、一方に5個、10個…と角砂糖を入れ、くつくつ沸いている濃厚な茶を注ぎいれる。コップからコップへと交互に注いでむらのないように混ぜる。それから、再び薬缶に戻して煮立てる。…これを数回繰り返して茶が出来上がる。薬缶を高くかざし、ミニコップに注ぐ(写真3)。何度も混ぜ合わせ、薬缶に戻す。最後に高い位置から滝のようにミニコップに注いで泡を作る。泡が多いのが好まれる。砂糖の量が足りないと、十分な泡が立たない。 こうして、まるで生ビールのように泡が立った、熱くて、甘苦い一杯ができる。妥協はない。

【写真3】 高い位置から何度も茶を注ぎ、泡を作る。

こうして作業工程を書けばお分かり頂けると思うが、茶ができるまで、かなり時間がかかる。小さな七輪とお茶セットを、体躯の大きな男たちがぐるりと囲み、おしゃべりしながら待つ。一回に点てられるお茶の量はせいぜいミニコップ3杯程度。6~7人もいれば、全員にいきわたるには1時間はゆうにかかる。この待ち時間を、時の経過を気にせずにおしゃべりしながら愉しむのだ。優雅である。そんな場に加わっていると、日本人である私は、せっかちな自分、小さなことに焦って余裕のない自分に気づかされて、恥じ入るばかりである。ムスリム商人たちは言う。俺たちは酒が飲めないが、ちっとも飲みたいとは思わないのだと。アルコールはしばしば争いを生むが、茶は人と人を平和にするんだと。お茶を待つ時間への参与は、ただ優雅なだけでなく、他者を受け入れる寛容さを個人に要求する。たとえ、関係がしっくりいっていない相手が混じっていても、茶を待っている間になんとなく打ち解けてしまうのだという。私は、地元の女性がつくる、胸を熱くするようなキャッサバの地酒も好きだが、ひたすら熱くて甘苦い、100mlの茶も捨てがたいと思うようになった。 次に村を訪れるときには、前から頼まれている苦?い日本茶を、忘れずに持っていくことにしよう。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。