昼下がりの水浴びの楽しみ

関野 文子

昼食を食べて落ち着いた昼過ぎ、アジェキ、ンボレ、ビビアなどいつものメンバーに「水浴びをしにいこうよ」と声をかけられた。私は、昼下がりに必ず村の女の子や女性たちと水浴びにいくのが日課になっていた。まだ日が高いうちに水浴びにいかないと、川での水浴びは寒さが増して少し辛くなる。運悪く水浴びのタイミングを逃してしまうと、すっきりしないまま夜を迎えてしまうことになる。

写真1 これから水浴びをする子どもたち

熱帯雨林が広がるこの地域の年間降水量は1500-1700mm程度で平均気温は25℃程度である。水が豊富で、毎日川で水浴びをすることができることは、異国から来た私のような者にとっても恵まれた環境である。調査地では洗濯や水浴びに利用する川と飲用のために取水する川は、幹線道路を挟んでそれぞれ西と東に位置しており明確に分かれている。量は多くないが湧水があるため、飲料水は真水で飲める衛生的できれいな水である。

水浴び場に到着すると皆、服を脱ぎ近くの枝などにひっかけ、勢いよくジャンプしたり、飛び込んだりと思い思いの方法で入水していく。彼女らのように思い切りがない私は、おそるおそる足をつけ水の冷たさに慣れていくしかない。水浴びをする時に一緒に洗濯をすることも多い。日本では洗濯はゴシゴシこするように洗うものだがこちらでは、石鹸をつけて軽く丸めた服を板などにトントン打ち付ける叩き洗いをする。まるでパンを捏ねているような手つきで見事きれいに洗濯する姿は見ていて気持ちがよい。汚れがひどい時などは、ブラシを使うとよりきれいに洗える。叩いて洗濯することにあまり慣れていない私がすると汚れが落ちていないこともあるのだが、力強い彼らの手にかかれば、すっかり汚れも落ちてしまう。私も現地流で洗濯をするのだが、私の手つきが悪いと見かねると、「ちょっとかして、私が洗ってあげる!」という気遣いを見せてくれる人たちでもある。


写真2 洗濯をする少年(手前)と水太鼓を叩く少女(奥)

水浴びは身体や衣服をきれいにするだけではない以上の楽しみがある。
アフリカで水浴びしていることを日本の友人などに話すとよくまあ、そんな過酷な環境で生活していますねと言われることもあるが、お風呂ではできない、川だからこそできることが結構ある。まず泳ぐや潜ること、それから水太鼓である。泳ぐことは彼らもできるが、平泳ぎや背泳ぎなどの泳法をやってみせるとこれが大変盛り上がり水泳選手になったかのような気分になる。一方、私は彼女たちから水太鼓を教わる。水太鼓とは、水面を手のひらで叩いて音を鳴らす遊びである。一見簡単そうに見えるが、左右の手を交互に動かしながら、リズミカルにかつきれいな音を出すのは実はとても難しい。複数人で叩くと「ボコンボコン」と音が重なり、なんとも楽しげな時間が流れる。私が水太鼓をマスターするにはもう少し時間がかかりそうだ。


写真3 水太鼓を叩く女性たち

今回エッセーを書くにあたり、バカにおける「きれい」「きたない」を考えたが、ぴたりと当てはまるバカ語がないことに気づいた。バカ語では、きれいで美しいものを指して「joko(ジョコ)」というが、これは英語のグッドのような広い意味の言葉でことの良し悪しや食べ物が美味しいという意味も持つ大変汎用性が高い言葉である。バカ語の場合、感情や状態を表す形容詞のバリエーションはあまり多くなく、一つの語彙が状況によって多様な意味をなすことがある。

日本語の「きれい」の場合、清潔であるとか衛生的だという意味もあるが、「joko(ジョコ)」にはそのような意味はない。他に清潔さや衛生的であることを意味する言葉も見当たらない。一方、汚いというのも、汚れを意味する「mbindo(ンビンド)」という言葉で服や物が汚れていることを指し、泥などによって物理的に汚れていることを意味する。異なる言語において、同じような意味を持つ言葉があったとしても、その意味や使われ方の範囲が異なっていることは興味深い。その社会や人々が何を重視しているのか、価値観や観念を反映している結果でもある。

服や身体についた泥や汚れを洗い流してきれいにする。水浴びの時間は物理的にきれいな状態にするだけではない楽しみがある。水浴びとは彼らにとって遊びやコミュニケーションの時間でもある。そういえばお風呂文化が深く根付く日本では、温泉や銭湯はみんな大好きである。私も時々銭湯に行くことがあるが、銭湯での「こんばんは〜」「さいなら〜」と常連のおばちゃんたちの会話を聞くのは心地良く、銭湯が地域の人の憩いの場になっていることを実感させられる。裸の付き合いなどというけれど、日本でもアフリカでも同じ空間で身体を洗う、湯や水に浸かるという行為やその空間がコミュニケーションを作り出すきっかけになっていることは間違いなさそうだ。

カメルーンの森の中の水浴びもそんなコミュニケーションと遊び心に溢れる時間が流れている。晴れた昼下がり、皆で水浴びをすることで、身も心もスッキリ気持ちよくなって家に戻り、女性たちや少女たちは夕飯の準備やお手伝いに取り掛かる。私も村のお母さんたちが夕飯の支度に取り掛かる頃、さあ調査の時間だとまだ乾ききらない髪を乾かしながら家を出ていく。


写真4 水浴び場から見える空