「うわさをやめよう、チンパンジーのようなキャンプは良くない」

関野文子

熱帯雨林のキャンプでの夕食時、大きな声が響きわたった。私は、カメルーンに暮らす狩猟採集民バカの人たちを調査するために彼らとともに森のキャンプに滞在していた。その声の主は、バイさんという年配の男性だった。何かと思って周囲の女性たちに聞いてみると、子どもたちに対して水浴びの時にうわさをするなと演説をしているというのだ。ただ、それが何を意味しているのか私には分からなかった。バイさんの様子から、なにか強いメッセージが発信されているのかもしれないと思い、近くにいって演説を記録した。

私は、モロンゴと呼ばれる長期狩猟採集生活に同行していた。キャンプ地は、幹線道路から約30㎞も離れており、2日間森を歩いてたどりつくような場所にあった。私は、これまでバカの人たちと何度か森のキャンプに行ったことはあるが、これだけ遠く離れた場所に行くことは初めてだった。キャンプには100人ほどのバカの人たちと、調査チームのリーダーで教員の安岡さん、私を含む調査チームのメンバーの計6人が滞在しており、大変賑やかだった。定住化が進んでいる現在、これだけ大規模なキャンプをすることは珍しいだろう。森の中で彼らは、野生動物や植物を狩猟採集しながら生活していた。森には十分な食べ物があった。主食は野生のヤムイモで、茹でて食べる。おかずは、ダイカーやイノシシなどの野生動物の肉を、ナッツのペーストや塩などで煮込んだものである。ダイカーは、森林性のアンテロープ類で、ブルーダイカーなど、数種に分けられる。見た目は日本のシカのような動物(分類的にはカモシカに近い)で、この地域の食生活においてもっともポピュラーな動物のひとつである。モロンゴ中は、ハチミツのシーズンでもあり、中でもダンドゥと呼ばれるサラリとした液状のハチミツであるハリナシバチのハチミツが多く採れた。

写真1 森のキャンプの様子 モングルと呼ばれるドーム状の小屋が並ぶ

カメルーンの首都ヤウンデでは、2020年3月頭に新型コロナウィルスの国内初の感染例が確認されていた。そのニュースの直後、私は森のキャンプに入った。森のキャンプでは、短波ラジオを通じて欧州で感染爆発がおきていることやイタリアで医療が崩壊しているといった情報を耳にしていた。とはいえ、人里離れた奥深い森のキャンプは、ウィルスから隔絶された安全地帯のように思えたし、事態の深刻度を推し量ることは難しかった。もっとも、バカの人たちが、森に入ったのは2月下旬で私よりも3週間ほど早くに森に入っていたため、コロナについて知るよしもなく、話題にすることはなかった。

しかし、日本から緊急の伝令が手紙で届けられてから、私たちの状況は一変した。その手紙には、国境が封鎖されるかもしれないこと、調査をきりあげなければならない可能性もあることが書かれていた。リーダーの安岡さんが幹線道路沿いの村にある研究基地に衛星電話で連絡をしたところ、すでに国境が封鎖されていることがわかった。この予想外の事態に私たち調査チームは戸惑いつつ、対応策を話し合った。

手紙を受け取った日の夕方、私は調査中の雑談の中で、病気が流行っていること、カメルーンの国境が封鎖されたことなどをバカの人たちに話した。しかし、バカの人たちは「まあ、それは大変だね」というような具合で大して気にもとめていない様子だった。日もすっかり暮れ、そろそろ私の調査が終わろうとしていたその時、冒頭のバイさんの演説が始まった。

この演説は10分ほどあったが、その中のいくつかの内容を紹介する。

 

「おまえたちはこどもたちに落ち着くように言いなさい。」

「おまえたち、青年、女、子どもたち、水浴びの時にうわさ話をやめろ。」

「静かに水浴びをしなさい。」

「みんな静かに食事をしよう。」

「おまえたちはこの川にうわさを聞くために来たんだろう。」

 

水浴びの時にうわさをするなと、同じようなフレーズが何回も繰り返される。この地域では風呂の代わりに川で水浴びをする。水浴びは男女が別々に川でするのだが、水浴びのあいだは、女性同士、青年同士、こども同士でおしゃべりをする。この時、実際にうわさがされていたのかは私には分からないが、バイさんは水浴び中のおしゃべりのことを指摘しているのである。

 

「おまえたちはこれから村に帰る道でうわさを聞くことになるだろう。」

 

バカの人たちや調査チームが近いうちに村に帰ることを予期しているかのような内容である。きっと村に帰る道中で出会う人々から、調査チームやバカの人たちがコロナに関するうわさを聞くことを意味しているのだろう。

 

「私はこのモロンゴで熱心に叫ぶぞ。」

「彼は明日村に着いて、一週間滞在するだろう。」

「この男は、キロを計ったり、森にカメラを仕掛けたり、はずしたりする仕事をするために、再びここに戻ってくる。」

「みんな落ち着いて静かにここにいよう」

 

バイさんは、私たちの日々の調査内容や調査チームのリーダーである安岡さんのことにふれている。日本からの伝令を受けたのがこの日の昼間で、安岡さんは村で関係者との連絡や調整をするため、夕方にはキャンプを出発していた。そのため、この演説の時にはすでにキャンプにはいなかった。このキャンプの人たちは、安岡さんが長年調査をしてきた村の人たちであるため、お互いによく知っていたし、信頼関係があった。一方、私を含む他の調査チームのメンバーは、このキャンプで初めて彼らと生活をともにしたため、安岡さんにキャンプの人たちのことや、調査についてよく聞いたり、相談したりしていた。そんな中、安岡さんが突然キャンプからいなくなったため、バイさんは、残された調査チームのメンバーやバカの人たちが不安に思うかもしれないと思ったのだろう。

 

「うわさは良くない。チンパンジーの(ように騒ぎたてる)キャンプは良くないんだ。」

 

バイさんは、うわさ話をすることをチンパンジーが集まって「ホウホウホウ」と騒ぎたてる様子に例えている。バカの間ではチンパンジーは擬人化され、よく例え話にでる。たとえば、農耕民の悪口を言う時には、「農耕民は、チンパンジーみたいに悪い奴だ」と表現することがある。幹線道路沿いのバカの村は、農耕民の村と隣接しており、両者は畑での労働や物資のやりとりなど日常的に相互に関わり合って生活している。ただ、雇用関係などにおいて、農耕民の方がバカよりも優位な立場につくことがある。そのような状況に対して、バカから不満がでるときにこのような動物を用いた表現がされるのである。バイさんは、キャンプで一緒に過ごす人たちに、静かにして落ち着いて、というメッセージを繰り返し伝えている。

演説から数日して、私たち調査チームとバカたちは一斉に森のキャンプを撤収した。バカの人たちは村に帰った。あとから聞いた情報では、実際、村でもコロナに関する間違った情報や憶測が流れていたそうだ。私たち調査チームは、森を出てわずか数日で日本に帰国した。帰国後、私もコロナに関する情報の波にのみこまれた。毎日の報道では、わずかな情報の中から絞り出された様々な観測が飛び交い、感染者に対する批判や差別に関するニュースが流れてきた。同時に、隣の人や、自身が感染しているかもしれないという緊張感を持ち、社会が窮屈になっていくような感じがした。未知の病気は当然ながら怖かった。ただ、それと同じくらい、病気やウィルスをめぐって身近な人たちとの関係が悪化したり、新たな差別や分裂が生じたりすることも怖いと感じた。

帰国してバイさんの演説を振り返ってみると、バイさんがくりかえし言っていた「みんな落ち着いていよう、うわさをやめよう」ということの意味がわかったような気がした。演説を聞いていた当初はこどもへのメッセージかと思っていたが、バカの大人たちはもちろん、調査者も含んでいたのである。当時、一番落ち着いていなかったのは、私たち調査チームだった。彼らを巻き込んでしまったことに申し訳なさを感じた。バカの人たちは狩猟と採集でとった食べ物を分配し、みんなで協力して生活する。そのような環境において、キャンプの人たちが不要な情報にふりまわされて混乱してしまっては、キャンプが成り立たなくなってしまう。バイさんは、バカの人たちが村に帰ってからのことや、私たちが日本に帰ってから経験することを見越しているかのようだった。彼はコロナを知っていたわけではないが、きっとなにかを察知していたにちがいない。

演説の最後にバイさんはこう締めくくった。

 

「おれは、おまえたちにこのように教えた。でも、これはとても難しいことだぞー。」

 

バイさんが言うように、緊急事態において落ち着いて行動すること、憶測で話したりうわさ話をしたりしないことは、たしかに難しい。気づけば一年経ったが、コロナとの戦いはこれからしばらく続くだろう。正直、この文章を書いているいまも私の気持ちは全く落ち着いていないし、色んな感情がある。というのも、これをみて私たちの現地での行動を悪く思う人もいるかもしれないし、どう捉えられるのか分からないため、この文章を公にすること自体にも不安をおぼえるからだ。落ち着くのは本当に難しい。2021年3月末現在、カメルーンでは都市部を中心に感染が再び拡大しており、累計の感染者は58,000人を超えたそうだ。いつまた森に行けるのか先のことはまだ分からない。

コロナの感染が落ち着いて、フィールドに戻ることができる日がくるまで、バイさんの言葉を時折思い出しながら、まずは落ち着いて、いまできることや、いま目の前にあることと精一杯向き合いたい。

写真2 バイさん