女にだってできること

眞城百華

女たちもこの大変な状況をかえられるとわかったの

私が調査をしているエチオピア最北部のティグライ州は、1975年~1991年まで内戦下にあった。1974年にエチオピア革命が起きて、その後成立した軍事政権に対抗して国内各地で反政府勢力が乱立した。ティグライ州でも反政府勢力が軍事政権との武力闘争を決定した。軍事政権は、反政府活動の動きを封じるために武力攻撃を開始し、州全体が戦争に巻き込まれた時代だった。

私が紛争下のティグライの女性に関心を持ったのは、別の調査で住み込みをしていた時に、隣人の一人が内戦時に女性兵士だったことを知ったことがきっかけだった。同地の女性兵士に関するルポなど読んで知ってはいたが、まさかこんなに身近にその経験をした女性がいるとは思わなかった。彼女は自分の経験を話すことをためらわず、私はコーヒーセレモニーに招かれるたびに少しずつ彼女の経験を知るようになった。終戦時には約2万人もいた女性兵士についてさらに知りたいとおもい、研究テーマとして取り組むことになった。

ティグライ州各地で内戦下の女性や元女性兵士のライフ・ヒストリーをきいてまわった。犠牲者や被害者として捉えられる内戦下の女性たちが、内戦を生き抜き、家族や村を守るためにとても重要な役割を与えられていたことを知った。

エチオピアの北部社会は家父長制の影響が非常に強いことで知られる。なぜ女性が兵士となることを選択したのか、探っていくうちにティグライ社会において当時女性が直面していた問題が次々と語られていった。当時の農村の女性たちの多くは自分の人生を決定することが許されず、農村では多くの女性が10歳を迎える前に親の決めた結婚をした。離婚の自由も、子供に対する親権もなく、離婚時の財産分与もなかった。女性たちが農村の会合に参加することもできず、家事や育児、農業にだけ従事する日々だった。

写真1:手工芸品を売りに来た女性たち(アクスム)

内戦が始まると、驚くことに反政府勢力が農村で「女性解放」政策を導入した。結婚年齢は15歳以上と決められ、女性にも土地を分配し、女性の組織化や政治参加の機会もひらかれた。戦時下で政府軍の兵士による性暴力が起こる一方、反政府勢力はその兵士によってティグライ女性たちに性暴力が行使されないよう厳しい罰則を設けそれが厳格に守られた。農村の男性が軍事政権の圧政に対抗するために相次いで反政府勢力への支持を表明し、その多くが反政府勢力の兵士に志願した。そのうえで一連の反政府勢力の女性に対する政策や対応により、農村の女性たちの支援活動や政治参加が徐々に許容されるようになった。

反政府勢力の「女性解放」政策は、反政府勢力の幹部となったティグライ女性の知識人によって導入された。反政府勢力は軍事政権と対抗するために女性の支援を必要としていたが、女性幹部たちは「女性解放」の達成と女性たちによる支援は同時に実行されるべきと強く主張した。反政府勢力のために炊き出しに参加した女性の夫は、隣人からいうことを聞かない妻とは離婚したほうがいいといわれたという。家の中に閉じ込められていた女性たちは、戦時下で新たな役割を与えられ、行動を制限する夫や父親の監督下から離れてその活動領域を広げることができた。他方で、村の女性の中にはどんなにほかの女性に説得されても、家から出ることを家族に認めてもらえなかった女性もいる。

政府勢力の支援に最初に関与した指導的役割を果たした村の女性たちの人生を聞いてみると、その中には家父長制の下で変化を求めていた女性たちの経験も浮かび上がった。

Aさんという女性は、結婚した後、子どもをもうけることができなかった。家同士の取り決めの下で結婚が決められたので、夫は離婚を言い渡さなかったものの、ほかに女性をつくって子どもをもうけた。当時の農村では女性は子どもをうむことが必須とされていたので、Aさんは家の中でも、村の中でも自分の居場所を持てず、日々家事や農作業に追われる日々だった。反政府勢力が「女性解放」の諸政策を村で導入したときに、Aさんは反政府勢力の支援をすることを決めた。育児などで同年代の女性たちが忙しくしている中、Aさんは村の女性たちを組織して反政府勢力の支援をするための指導的役割を果たした。

軍事政権の攻撃が迫る一方、農村の男性の多くは兵士として出兵しており、家族や村を守ることもできない。女性たちは、戦時下で家事や育児だけでなく、男性が担う耕作や軍の攻撃で焼かれた家の再建も行った。一部の女性は村の防衛のために諜報活動や武器の使用も行い、軍の一斉攻撃の際は村中の人々を避難させる経験をした。戦時下で男性が不在で大変だったでしょう、という問いかけをするとこう返ってきた。

「大変だったけど、生き抜くためには必要だったのよ。女にはできないといわれていたけど、村の女たちで協力したら家の建築までできたのよ。女たちの力をはじめて感じたの」

農村で反政府勢力の支援をするだけでは、軍事政権に対抗できないと、徐々に女性たちの中から反政府勢力に兵士として入隊を志願する女性たちが増えていった。農村で女性解放を推進した女性幹部たちの活動に感化された女性たちも多い。また反政府勢力が女性も兵士として参加を認めていることを知り、軍事政権の圧政により家族や農村が脅威にさらされている状況を変えたいと志願した女性たちも多数いる。女性兵士の多くは、結婚前の16歳以上の女性たちが多く志願した。他方、すでに結婚し子どもがいたにもかかわらず、夫や子どもをおいて女性兵士に志願した女性も多数存在する。
その女性は当時の気持ちをこう語ってくれた。

「親に決められた結婚をして子どもも生まれたけれど、女性も活躍することができる場があると聞いて家を出ることを決めたの。村に残っていたら支援活動はできても家の中では夫たちのいうことを聞かなくてはいけなかったから」

反政府勢力は性に関する規律が厳しく、結成以来、兵士間の結婚も性関係も禁止していた。80年代に新規に参加した兵士たちから結婚禁止規定の解除を求める声が上がった。その際に女性兵士たちの一部はこの結婚禁止規定の解除に猛烈に反対した。

女性兵士だったBさんは、かつて親の決めた結婚をしたものの、どうしてもその結婚が嫌で夫の下から逃げ出した。当時は家の決定に従わない女性が家族から何の支援も得られないことも多かった。その後Bさんはお手伝いさんとして働くことで何とか生計を立てたが、反政府勢力が女性の早婚を禁止したことを知って、すぐに女性兵士として反政府勢力に参加することを決めた。Bさんは結婚禁止規定に関する会合に参加したときに感じたことを次のように語った。「私は農村で結婚したら女性が結局は夫の言いなりになることを強要されることを知っている。だから絶対に結婚禁止規定は守ってもらわなくてはと思ったの。戦場で女性兵士が懸命に努力して男性兵士と同じように扱われるようになったのに、部隊内で結婚したら女性の地位は昔の農村の女性と同じになってしまうと思ったの。結局会合では、女性たちの反対の声が大きかったこともあって、結婚禁止規定は解除するけれど、両性の同意によってのみ結婚がなされること、結婚を望まない人は結婚しなくてよいということが確認されてようやく話し合いはまとまった。そのあと、私にも何人かが結婚を申し込んできたけれど、私はもう結婚はこりごりだったから申し出は断ったの」

戦争下という特殊な環境で女性の躍進が見られたのは、なにもアフリカに限ったことではない。日本でも銃後をまもった女性たちの活動は注目されてきた。ティグライの女性たちも反政府勢力の政策によって活躍する場を与えられた後、戦時下で軍事政権の攻撃にさらされながら、村や家族を守るために懸命に働いた。与えられた環境に満足するだけではなく、その中で女性の活躍の場が縮小されないように女性の連帯を強化していった。

写真2:アシェンダ-ティグライの女の祭り(ティグライ州テンベン)

写真3:アシェンダに参加する女性たち

1991年に戦争が終わると、反政府勢力の男性兵士の多くは国軍に編入されたが、兵士が多すぎたために女性兵士の大多数は除隊した。戦争が終わった後、戦争前の家父長制的ジェンダー規範が家庭や村の中で揺り戻しのように復活したこともあった。しかし、女性たちが女性の解放やエンパワーメントを求めた活動は、戦後にローカルNGOに引き継がれ、女性たちの活動は今も続いている。

内戦下で激戦地だった奥地の村に行くと、驚くことに村の役場スタッフの半分が女性だった。村議会の議長も女性であった。公職に就くことは男性の間でも競争が激しいが、奥地の村にもかかわらず役場ではジェンダー平等がはかられていた。村役場の男性に、公職に就きたい男性の志望者も多いのに、女性のスタッフがこんなにたくさんいることに不満はうまれないのか、と尋ねた。村の男性は、「私たちは長い内戦を何とか生き延びた。戦争中に女性たちが村や家族のために行った貢献を私たち男性はつぶさに見てきた。だから大半の男性は女性たちが戦後に村の運営にかかわることを当たり前のことだと思っている」と答えた。

ティグライの女性たちの女性の解放に向けた運動は、まだ続いている。女性たちは自分たちの権利のためだけではなく、自分の子ども世代のためにも、家族や村や民族のために連帯をもとに社会を支え続けている。ティグライ州では2020年11月から再び政府との戦争が勃発している。戦時下では複数の武装勢力によるティグライ女性たちへの性暴力が常態化し、目をそらしたくなるような経験が報じられる。ニュースに流れる戦況を追っていると、戦時下で女性たちが被害にあいながら連帯し農村や家族を支え続けていることを想像することも難しい。しかし、先の戦争下の女性たちの経験を振り返ると、かつて話を聞いた一人一人の女性たちの顔が思いうかび、この過酷な状況下でも女性たちが助け合いながら戦時下で生き抜こうとする姿も同時に確信できる。彼女たちが直面している現実や泥沼化する戦争から目を背けず、ティグライの女性たちに寄り沿い、考え続けていかなくてはならないと再確認している。