眞城 百華
「父はまたでかけてしまいました」
話を聞くために数時間をかけてたどり着いた家で、娘さんが申し訳なさそうに父の不在を詫びてくれる。バライさんの不在はこれが最初のことではなかった。
バライさんは御年83歳だが、家にじっとしているのが嫌いな性分なのだろう。お気に入りの聖人の日には、その聖人を祀る教会に数日、時には1週間以上かけて参詣に行ってしまう。知人の訃報を市場で聞きつけるとお悔みにはるばる50キロ以上離れた村まで歩いていってしまう。家業の畑も子供たちに任せて自由の身だが、元気と暇を持て余しているので若い人よりも余計にせっせと各地に足を運ぶ。
私が当時行っていた調査は60年前に起こった反乱の調査で、当時の関係者に話を聞いて回っていた。バライさんは反乱の中枢にいて当時の詳細を知り抜いている貴重な人物だと皆に会うよう勧められた人だった。だが、なんど辺鄙な村にある彼の家を訪ねても、家にいたためしがない。
一般的にエチオピア北部では老人たちは信仰心が篤く、お悔みも社会生活において最も重視される。だが参詣もお悔みもせいぜい同じ村の中か隣村までが通常の行動範囲だ。
当時はまだ携帯電話も普及していなかった。バライさんの村には村に一つの電話局もなく、「いつ行くから家にいてください」と伝えるすべもない。朝早くから長距離乗り合いバスにのりこんで数時間かけて会いにきた身としては、バライさんの身軽さと健脚をすこし恨みたくなる。
今回は娘さんが、バライさんが実は私の家に近い息子の家に滞在していることを教えてくれたので、私は彼がまたどこかに出かけてしまわないうちにときた道をあわててとんぼ返りすることになった。
彼の情報を得てから数カ月たってようやくバライさんに会うことができた。飄々とした風貌のどこにでもいるおじいさんだが、過去の記憶も確かで突然現れた外国人の私にも臆せず気さくに自分の経験を語ってくれた。旅好きのバライさんに振り回されてきた私には、バライさんの旅好きの心をくすぐるある案があった。調べている反乱はその州の東部全域を巻き込む大規模なもので、指導者たちは各地を巡り反乱参加を呼び掛けた。当時まだ若かったバライさんはこの指導者について各地を転々としていたのだ。バライさんの過去の記憶を呼び覚ますためにも現地に赴くほうがいいと思い、私はバライさんに反乱の呼びかけのために立ち寄った東部一帯を一緒に回ってくれるようにお願いした。こちらの思惑通り、旅好きのバライさんはなかなか行けない地に車を出すから一緒に行こうという提案に喜んで同意してくれた。またお悔みができたらそちらを優先されてしまうとおもって急いで車を手配し、数日後にバライさんとの珍道中が始まった。
バライさんや関係者に話をききながらの旅は3日におよんだ。道中もバライさんに振り回されっぱなしだった。反乱の軌跡をたどる旅なのに、バライさんは途中で長らくあっていなかった知人や親せきにも会いに行く。車があるのをいいことに、自分の経験を伝えたくて車に乗れるだけの友人を道中で載せてしまう。車が通れる道がない村に行くのをあきらめようとしたら、バライさんが「ほらすぐそこだ、その川はあそこが浅いから車で通れるはずだ」と勝手にドライバーに指示を出して無理やり川を越えてしまう。1日中、散々移動して、もうへとへとで帰路に就こうとすると「今日の仕事はもう終わったんだろう。あそこの教会にちょっと上ってくるから待っていてくれ」といってキリスト教の聖地である崖の上の教会にはだしですたすたとのぼって参詣にいってしまう。女性は立ち入れない教会なのでバライさんが気がすむまで参詣するのを、沈む夕日を気にしながら私は下から見上げて待つしかない。
旅好きは若いころからだったと調査中に知った。各地に友人がいて彼との再会を喜ぶ人がいる。旅をするにも才能がいるのだと、どこに行っても歓待されるバライさんから学ぶことも多かった。決してでしゃばらないが、好奇心は強く、話題が豊富で彼と話すときは皆とてもリラックスして楽しんでいる。何日も旅に出ると各地で知人の家に泊めてもらうことになる。連絡もせずにふらっと突然現れても歓待される、そこにバライさんの人柄があらわれていた。旅の才能は健脚だけではないのだ。
紅白の杖をもつのがバライさん。息子も旅につれてきて親戚の家に立ち寄るが、
すでに関心は次の目的地にあり心ここに非ずの表情。
バライさんは過去の記憶も確かで、私も貴重な情報を得ることができた。3日間も車であちこち走り回ってバライさんにも無理をさせたと思い、感謝もこめて今日でこの無理な旅も終わりだからと告げると、「明日も車をだしてくれ」といわれた。私も疲労困憊だったがバライさんたっての頼みを断るわけにはいかなかった。散々知人たちと旧交を温めたのに、まだ行きたいところがあるのかと明日の行き先を尋ねると、行って帰ってくるだけで1日かかる州境の村だった。しぶしぶ車を出して早朝からバライさんと出かけ、車中でなぜここに行くのかと尋ねると「あっておかなくてはいけない人がいるんだ」の一点張り。村について名前しかわからないバライさんの知人を探すのにもあちこち奔走し、ようやくみつかった知人の家に車をつけた。
バライさんが生垣の外から名前を呼び掛ける。家から出てきた老人が不審そうに車とバライさんをみていたが、はっと彼の表情が変わった。足を引きずり、杖をつきながらバライさんのもとに駆け寄る。二人は言葉もなく抱き合って涙をながした。
バライさんがどうしても会いたかったグルマイさんは、60年前の反乱で共に戦った仲間だった。反乱を鎮圧に来た政府軍の攻撃を受けてグルマイさんは足を負傷して動けなくなった。バライさんは危険を冒して負傷したグルマイさんを背負って戦火を逃げ惑ったという。命の恩人に会いに行くというのはよくある話だが、助けた友人の存否を確認しに行くという話はなかなかない。旅好きのバライさんは長らくグルマイさんのことが気になっていたが、いかに健脚でも彼の村への道は遠く険しくどうしても行くことがかなわなかったという。60年ぶりの再会だった。二人が60年前の経験を振り返る場に私も同席させてもらうことができた。調査という意識も薄れ、時を越えた人のつながりに思いを馳せた。
「次はどこにいこうか?」