故郷に家を建てました(エチオピア)

西 真如

「じつはこの間、故郷にいる両親のために、家を建ててあげたんだ。」と、アジスアベバ(エチオピアの首都)で借りたレンタカーの運転手が、とても誇らしげな口調で言った。見たところ、二十歳になるかどうかの若者だ。それを聞いている私はと言えば、家を建てるどころか、安月給を気遣った母のほうから、ときどき野菜などを送ってくるくらいだから、ちょっと耳が痛い。

その運転手はマラクという名前で、エチオピアの南部州グラゲ県というところで生まれた。彼は中学校を卒業したあとアジスアベバに上京し、いくつかの仕事を経験したあと、今はレンタカーの運転手をしているということだった。マラク君の故郷が、たまたま私が調査で良く訪れる村だったので会話が盛り上がり、そのうちに彼が、家の話を始めたのである。


グラゲの伝統家屋

ところでグラゲ県は、エチオピアの中でもひときわ立派な伝統家屋で知られている。例えば写真の家屋は1968年に建てられたもので、中心の大黒柱は太さが50センチメートル、長さが(地中に埋められた部分も含めて)16メートルもある。家の内部は二つに区切られていて、入り口から近い方が居室兼客間、奥の方はおもに台所として使われている。この家で宴会を開くなら、軽く50人くらいの客は呼べるだろう。


家の内部の写真を撮らせてもらった。奥に立っているのがこの家の主人夫婦。

ただし、誰でもこんなに立派な家を建てられるわけではない。実は写真の家は、私が何年か前にグラゲ県を訪れたときに、「日本で本に載せたいので、この辺りでいちばん立派な家の写真を撮らせてくれ」と頼んで、教えてもらった家だ(ちなみにこの家の写真は、昭和堂から出版された『世界住居誌』(布野修司編)という本に収録されている)。

伝統家屋を建てるには、木材を買うのにかなりのお金がかかるだけではなく、村の大勢の人たちに作業を手伝ってもらう必要がある。また屋根を葺くための茅(かや)に似た草は、村の共有地に生えていて、長老たちの許可をもらわなければ、刈り取ることができない。お金持ちでも、そう簡単には建てられないのだ。

若い運転手のマラク君は、一刻も早く両親を喜ばせたかったのだろう、伝統家屋はあきらめて、安く早く建てられる、トタン葺きの家を建てたのだそうだ。もちろんマラク君の両親は大喜びで、彼の仕事がうまくいくように、良いお嫁さんが見つかるようにと、何度も励ましのことばを贈ってくれた。

「両親のそのことばに、僕はどれだけ勇気づけられたかわからない」と、マラク君は言っていた。私も、知り合ったばかりのマラク君の仕事の成功を祈らずにはいられない気持ちになった。