あの木の下で(ザンビア)

村尾 るみこ

「ああ、あの木の下でおろしてくれ。あのムシビの木だよ」
中年の男性がそう言って、満員のトヨタハイラックスを止めて下車した。私も続いて降りると、近くで遊んでいた村の子供が「おかえりーおかえりー」と叫びながら一斉に集まってくる。ムシビという名の樹木が風でさわさわと揺れている。その青々とした葉が、明るい陽光のなかで、はしゃぐ子供たちと一緒に踊っているようにすら見える。

中南部アフリカに位置するザンビアの西側は、砂が深く堆積するために、この地域にしか生育しない樹木がいくつかある。その一つに、この地域の人がムザウリ、またはムシビと呼ぶマメ科の樹木(学名:Guibourtia coleosperma)が生えている。生長すれば、樹高25m、直径が35cmほどになる。葉は光沢があり、雨季の終わりに赤い実をつける。子供たちは、主食の練り粥に、この赤い実と砂糖を一緒に混ぜて食べるのが大好きである。また実の他にも、葉は下痢止めやしっしんの薬として、幹は家を建てる材木としても利用される。さらにムシビは、他の樹木にくらべて樹高が高く樹冠も広いので、村や畑といった境界を示す目印にも用いられる。

ムシビ

私が長く生活する村の近くの大きなムシビは幹線道路沿いにのこされていて、一日数便しかないバスの停留所にもなっていた。そのため、そのムシビの木のまわりはさまざまな場所から場所へ移動する人びとが交流を深める場所ともなっていた。私が村から出かけるときも、バスを待ちながら、多くの見ず知らずの人に冷やかされたものである。一緒にバスを待っている人も、ただ歩いて道を通り過ぎる人も、どこへいくんだ、今度は何を持ってここへ帰って来るんだと集まってくる。そして必ず、私がバスに乗るまで一緒におしゃべりをして、バスに乗り込んだ後も見えなくなるまで見送るのである。人を見送るまで一緒に過ごすそうした行為は、旅ゆく人を見送る(kushindikila)という彼らの風習であり、珍しい日本人をからかうためではない、と知ったのは、ずいぶん多くの人びとに見送られてからのことである。

村へと続く道路。この先に大きなムシビが立っている

この木を頼りに村を往来するのは、地元の人や、いつの間にやら紛れ込んだ小さな日本人だけでもないらしい。この地方に多い難民キャンプから出稼ぎにきた男性も、このムシビを目印に、再びこの村に働きにやってくる。なかには意中の女性を忘れられず、恋焦がれて再訪する難民男性もいる。難民キャンプへ戻る日までに女性と結ばれれば、次にそのムシビの木の村から離れるときは一人ではないのである。

一方、その辺りの村に住む人びとといえば、ムシビの木を待ち合わせの場所としても利用している。学校へ行く子供たちや、10キロほど離れた街へ働きに行く人たちも、気心の知れた者同士で待ち合わせて共に出かけて行く。特に年頃の若者は、彼氏彼女とその場所で待ち合わせをして街へ行ったり友人の家を訪ねたりしている。いつも流暢な英語で私に話しかけてくる隣村の少年も、彼女といるときばかりは私を尻目にムシビの幹にもたれてデートを楽しんでいる。

人が生活のなかで利用するからこそ、そこに存在し続ける樹木がある。それは必ずしも、食用や薬用、建築材としての経済的な重要性によるものだけでもない。あのムシビは、今年も赤い実をたくさん落とすだろうし、これからも行き交う人たちを、あの高い空と一緒に見下ろすのであろう。