氾濫原の豊かな食事(ザンビア)

岡本 雅博

日本に住む私たちの身のまわりには、「食」をめぐる情報に満ちあふれている。テレビでは、毎日のように「某所の和牛がおいしい」だとか「鮨を食べるなら某店」などといったグルメ番組が流れている。雑誌をとってみても同様であり、高級レストランや各地のうまいものに関する記事が紙面をにぎわしている。こうした日本人の「グルメ志向」は、私たちの暮らしが豊かになった証左であり、決して悪いことではないだろう。しかし、このような日本で生活していると、フィールドワークのために滞在したザンビアでの食事が懐かしく思いだされる。

私が滞在したシムンドゥエ村
 

南部アフリカを大きく流れるザンベジ川の上流域には、およそ8000平方キロメートルの面積をもつ氾濫原が広がっている。この氾濫原を主たる居住域としてきたロジの人々は、ザンベジ川の水位の上昇にともなって起こる季節的な洪水とうまくつきあいながら生活してきたことで知られる。私は、村の一角に建ててもらった草小屋で寝泊りをし、日々の食事を村のある世帯にお願いして一緒にとらせてもらいながら調査をすすめた。氾濫原の村に滞在して楽しかったことは、何といっても毎日の食事であった。

氾濫原でもっとも広く栽培されている作物はトウモロコシである。トウモロコシが、ロジの主食である粉粥餅の材料となるからだ。これは、乾燥させたトウモロコシの粒を製粉し、それを火にかけた鍋に入れ、熱湯で練りあげて団子状にしたもので、ロジ語ではブホベという。私たちが食べるコメのごはんと同じで、ブホベには味つけがなされていない。器に盛られたブホベを、片手を使って一口サイズにちぎり、手のなかで軽く丸め、そしておかずと一緒に口に運ぶのだ。

一度の食事におけるおかずの数は一品目であるが、そのバリエーションは多彩である。私の滞在期間中に、もっとも頻繁に食卓にのぼったおかずは魚類であった。ザンベジ水系は淡水魚の宝庫であるからだ。私が食べた魚は20品種にのぼるが、そのなかでもっとも頻繁に登場したのがナマズである。ナマズは年間をとおして得ることができるが、とくに洪水が始まる1月はナマズ三昧の日々を送ることができる。洪水域が拡大するようになると、氾濫原に点在する湖からナマズが遡上するようになる。このとき、ヤスを用いて大量のナマズを射止めることができるのだ。新鮮なナマズをひらきにし、若干の調理油をおとしたフライパンで焼いたナマズのステーキは、ウナギの蒲焼にも勝るとも劣らないおいしさである。

ヤスで射止めたナマズ
 

ほかにも、野草の葉、氾濫原に生息するカメ、オオトカゲといった爬虫類の肉、あるいは季節的に飛来してくる野鳥の肉など、忘れられない味はたくさんある。とくに、オオトカゲの肉は、数時間かけて煮込むと、鶏肉をさらに淡白にした食感となり、塩をまぶして食べると実においしく、ブホベにもよくあう。また、ロジは牛を飼う民族としても知られているが、牛の乳を一昼夜おいてできるサワーミルク(酸乳)も格別な味である。

さて、このような氾濫原での食事が私をつよく惹きつけるのは、その味覚のよさという点ばかりでなく、食材のほとんどが自ら手で生産・獲得されたものであるという点にもある。氾濫原の暮らしは、自給自足を原則としている。ひるがえって「グルメ大国」を誇る日本はどうであろうか。カロリーベースにおける食料自給率は40パーセントと、日本は他の国と比較しても著しく低い水準にある。BSE(牛海綿状脳症)に対する不安を払拭できないまま米国産牛肉の輸入が解禁されようとしている例をあげるまでもなく、日本における食料の安全性は、今後、根底から覆される可能性をはらんでいるといえる。ザンベジ川の氾濫原で食べた毎日の食事が無性に懐かしく感じられる所以は、このような点にあるのだろう。