ザンビアの年末(2007年新年によせて、アフリカより)

村尾 るみこ

私は今、ザンビアの西部州に来ている。思えば、ザンビアで新年を迎えるのは、2001年にはじまり今回で4回目だ。村でのにぎやかな新年や、タウンでの騒々しい新年は、日本での新年より不思議と濃厚に記憶に残っている。

今日は12月29日。現在私がお世話になっている州のオフィスには、非常に穏やかな空気が流れている。「ハッピーニューイヤー」くるくるのパーマをかけたオフィサーの秘書さんたちは、にこやかに年末のあいさつを交わしている。29日の半日で仕事納めだ。

「ムラオ、あなた帰らないの。今日はハーフ・デイでみんな13時には帰るわよ」。まだ広いオフィスとそのシステムになれない私に、秘書さんの一人がにやにや話しかけてきた。「えっ、そうなの、し、しらなかった!!!」暢気にカップにお茶を注いで飲んでいた私はたまげて時計をみた。やばい、もう12時50分だ。あと10分で、オフィスは閉まってしまう。私の様子に満足そうにげらげら笑い出す秘書さんたちを尻目に、私はあわてて自分の部屋に戻り、パソコンをリュックに押しこんだ。

帰りしな、秘書さん部屋に「また新年に会いましょう」と挨拶に行くと、まだ集っていた秘書さんたちは「ムラオ、次は1月2日の火曜に来るのよ。それまでオフィスは閉まっているから」と念をおしてくれた。 「いい新年になるように祈ってるわ。楽しんでね」。茶目っ気のある秘書さんが、ウインクしながらそういった。「ありがとう、あなたたちも、素敵な新年を」。私はウインクしながら、この地方で挨拶するときに添える拍手もうつ。またも秘書さんたちは笑わせる種をまいてオフィスを後にする。

帰路、路上には青取りしたトウモロコシをゆでたり焼いたりしたスナックが売られている。付近の農家でとれたばかりのトウモロコシだ。ほかにもオレンジやラッカセイ、あとおそらく首都から届いたのであろうリンゴやバナナ、飴玉などが並べられている。歩いているほかの人びとと同じく、空腹の私の歩みは遅くなる。こうして路上販売をする人びとは、得た利益のいくらかで、新年のおかずや日用品を買って村へ帰っていくのであろう。そして村々でつくったお酒に酔いながら、にぎやかに新年を迎えるのだ。

ザンビアは2001年から、どう変化したであろうか。インターネットや携帯電話の急速な普及と物価の上昇、ガソリン価格の上昇には特に驚かされる。さまざまな援助機関によってパソコンが導入され、職業訓練をともなう所得安定化プロジェクトがすすめられてきた。それもあってか、どんな奥地のオフィスにもパソコンは浸透し、インターネットへのアクセスも格段によくなった。物価の上昇は、主食のメイズ粉よりも、むしろ他の物価の上昇のほうが目立つ。例えば石鹸や塩、砂糖、食用油など、どんな辺境の農村にいっても人びとが日常的に利用するものの物価が、30%ほどは上昇している。特にガソリンの価格は目を見張る。通勤や移動に使うミニバスの運賃は2倍だ。タクシーも50%ほど値上げしていて、はじめはぼられているのかと何度も交渉を試みたものである。

今年もあと2日で終わろうとしている。銅の価格が上昇し、現地通貨クワチャが値上がりしている現状は、2007年にはどう変化するであろうか。

国内で最も貧困指数の高いこの地域では、普及するパソコンの前に座り、おしゃれな髪型や服をほめあう秘書さんたちも、農産物からのわずかな収入に頼りながら生活する農家の人びとも、あと48時間もしないうちに新年を迎える。

今の私の心境は、さまざまな人の生活の違いをいまさら咎めるのではなく、違う生活をより深く知ってみたいという気持ちが強い。2000年以降、1村を中心としてこの地域に関わり続けてきた私は、2007年を迎える今、この地域のさらに複数の場所に関わることで、さまざまな側面をもつこの地域の人びとの生活のあり方を考え直したいと思うからである。