二つの季節(ザンビア)

村尾 るみこ

ザンビアの西側は、とにかく砂が深い。いくらトヨタのランドクルーザーでも、はまってしまえばひとたまりもない。歩くのにも不便だ。足がとられる。ザンビアで暮らし始めてばかりの頃、砂の上の歩き方を知らない私の姿がまるで「アヒル」のようだと、村の人によく笑われたものである。そんな場所であるから、自転車なんてとても乗れない。

それでも年間降水量が800ミリあるせいか、この地域には疎らに樹木が生える林が発達している。季節は雨季と乾季にわかれていて、雨は4ヶ月しかない雨季に集中する。乾季の林はことさら見通しがいい。

乾季は草が枯れている。地面の白い砂が強い日差しを反射してまぶしい

 

落葉性なので、ほとんどの樹木の葉は乾季に落ちてしまうし、林床の草本も枯れているか、屋根や塀をつくる材料にするために刈られてしまっている。その景観は、一見日本の冬の林である。

しかし雨季が近づくと、雨が降り始める前に葉が展葉してくる。このときの葉は、薄い赤色をしている。それまで白い砂と茶色い枝ばかりが目に映っていた林は、突然違う世界に変化する。

photo雨季を迎えた林。林床には草やきのこが生育しはじめる。

 

photo雨季は草が繁茂して、地表面を覆い隠す。ヤギや牛にとっては食べ物が豊富になる季節だ

 

次なる変化は、雨の後におこる。ある年は、10月末に雨季最初の雨が降った。雨は一晩降り続いた。明くる朝、家の扉をひらくと、何かがまた変わっていた。軒下で顔をあらった拍子に、肩にかけていたタオルが落ちたので拾い上げようと腰をかがめた。その白い砂に顔を近づけたとき、一晩でおこった変化が何であるのかにようやく気がついた。1センチほどではあるが、白い砂の上に頭を出したばかりの草の芽が、辺り一面、一斉に芽吹いている。それはまるで、白い砂にひかれた緑のマットのようだ。その感動は、日本の春に土筆の芽生えを発見したときの感動に似ているように思った。

私が一緒にすごした人びとにとって、初めての雨の翌日は“リジラ”とよばれる「休日」となる。村で一番働き者のお母さんも、畑仕事にはいかない。「リジラの日に畑にいったら病気になるっていうのよ」としかたなさそうに庭を掃いている。「でもこれからトウモロコシの種を播いて、除草もしなきゃならなくなる。じきにムジルワ(雨の降り続く状態)に入るからキノコだってとりにいかなきゃなんないし、さあ忙しくなるよ。」

一晩でおこった変化に、私はそれまで暮らしていた砂の世界を違う目で見るようになった。栄養もなにもないとおもっていた砂の世界に秘められた、内なる力を見た気がしたし、繊細でかつダイナミックという二面性をもって季節の変わり目を写す、この地域の自然の魅力に触れたようにも思った。「日本には四季があるけど、ザンビアには二つの季節しかない」季節の数は違っても、移ろいをみせる自然の営みやその節目を意識して暮らす人びとに触れると、地球の傾きも二つの国に横たわる1万キロ以上の距離さえも、まるで感じなくなっていくのである。