ケンカをしない夫婦?(ザンビア)

村尾 るみこ

村でみるケンカは、いつでも、言葉でまくしたてる者が優勢な立場にある。とにかく、相手に口を挟む余地を与えない。特に、夫婦ゲンカがそうだ。些細な揉め事が、時には殴り合いに発展し、周囲にいる者がおもしろがって煽り立てる。村でそうしたケンカを初めてみたときは、圧倒されて、まじまじとその光景を見つめ続けたものである。

しかし中には、決して大きな声をたててケンカをしない人がいる。私が最も仲の良い友人は、私より少し年上の、ある物腰の柔らかな働き者の女性であるが、彼女の夫は、隣の国の紛争から逃げてきた難民である。難民は、言うまでもなく、村での立場が弱くなりがちで、ふとした言動により周囲からの反感を買いやすい。それをよく知る友人は、夫に繰り返し、 「とにかく、私達、よく笑いましょう。いい声で、いい顔で笑いましょう。」 と話していた。難民は、村人にとって脅威ではないことを、そうすることで常に伝え続けることができる、と彼女はよく話してくれた。

そんな彼女たちの地道な努力は知っていながら言うのは何であるが、とはいってもやはり、彼女たち夫婦の間にもケンカはあった。原因は村にいる他の夫婦とかわらず、おかずが焦げてるとか石鹸をかってくるのを忘れたとか、薪をとりにいかずにサッカーにあけくれていた、などであった。

ただ、友人とその夫のケンカは、やはり罵声を伴うものではなかった。友人は、ケンカをすると、夫婦の家のすぐ隣に建っているおばの家で寝たり、おばに一切の家事をまかせて閉じこもったり、と、夫に対する「声なき」反抗に出ていた。一方の夫の反抗はというと、なるべく家に近づかないようにする、という、これまた「声なき」反抗である。彼がやたら魚釣りにいったり、薪をとりにいったり、難民キャンプの知人を訪ねにいくといった態度にでると、ああ、また何か起こったなと感じ取ることができる。当然、夫婦が同時に「声なき」反抗にでると、彼らの家はからっぽとなる。そしてたいてい、友人のおばが庭を一人で掃いていたりするので、彼女達家族のところへよく出入りするものにとっては、ケンカしていることがわかりやすい。

そうして彼女たちがケンカしていることを察して、彼女に「今度は何やったの?」と聞くと、彼女はバツが悪そうに笑いながらポツポツと話してくれる。そして、気がすんだ頃に、彼女たちはまた夫婦の家に帰り、2人で同じ家で寝起きして、「明るく笑う」生活を送るのだ。

こうして、友人の夫にとって滞在することのできる唯一の場所は、声なきケンカを重ねる、友人夫婦の努力で守られているようだ。難民が夫だと、そういう苦労がついてくるものか、と考え込む私に、彼女はにやっと笑って言った。 「考えすぎてはよくないわ。夫が難民であるために、ケンカにもいろいろ工夫をしなきゃいけないっていうのは本当かもしれない。でもね、あなたに言っておくわ。日本だろうがアフリカだろうが、どんな夫婦にも夫婦の努力があるものよ」