キャッサバ畑の子育て(ザンビア)

村尾 るみこ

中南部アフリカにある、ザンビア共和国西部にはアフリカで4番目の長さを誇るザンベジ川が流れている。ザンベジ川の流れは「ひとが歩くほどのスピード」と描写されるほど穏やかで、その河畔に住む人びとも穏やかな生活をおくっている。

ここでの主食の一つは、キャッサバというイモ。サツマイモのような形で、うすい茶色をしている。女性はこのイモを水に漬けて発酵させ、乾燥したものを粉にする。この粉を熱湯でといて、「チブンドゥ」というモチのような食べ物をつくる。

「今日は畑にキャッサバを掘りにいかなきゃ」

 

55歳になる奥さんが、朝早くから大きな洗面器のような皿を頭にのせて畑へむかう。その後ろを彼女の娘が、生後2ヶ月の赤ん坊を背中に背負いついて行く。子供を出産した直後の女性は、畑へいかず家で留守番をすることもあるが、若い人手が必要となれば、子供をつれてでも畑へでかける。

畑は家から1時間歩いたところにある。世間話しながら歩いていると、真緑の葉をつけた一面のキャッサバ畑がみえてきた。近づくにつれ、1mを越す背丈にのびたキャッサバの茎が風にふかれて左右にゆれているのがみえる。

畑に着くと、奥さんが黙々とキャッサバを掘り始めた。娘は木の下に座って、赤ん坊にミルクをあげている。彼女は私を見上げ、にやりと笑って言った。

「今日は私のかわりにお母さんを手伝って」

キャッサバは、栽培するのにあまり手間がかからないと言われるが、収穫作業はけっこうな労力がかかる。まず株元の土を鍬で軽く掘り起こして、手探りで充分に成育したイモを掘り取る。まだ小さなイモはそのままにして、鍬で土を埋めなおす。これを家族が数日間食べる分に見合うよう、かがんだ姿勢のまま繰り返すのだ。掘らなければならない株の総数は、およそ50株にもなる。キャッサバのことを「怠け者の食べ物」などということは、もってのほかである。

「いいよ、今日は私も手伝う」と、私は答える。

売りことばに買いことばだ。

昔、自分の姉に「あんたの短気は常にいらん災いを招いている」と言われたことを思い出す。こんな、アフリカの内陸地にきてまでも。背負っていたリュックを下ろしながら、ミルクを飲んでいる赤ん坊を横目で見る。

「きみは大きくなっても、このチンデーレ(外国人)のようにはなるな」と、心の中でつぶやく。

収穫が終わって、水をガブガブのんでいたら、娘が「この子にも水をあげて」と言った。水をいれているいれもののフタに水を注ぎ、手渡す。赤ん坊は母親である娘が差し出した水を飲み干してしまった。木陰にいたとはいえ、日中35度を越える暑さはこたえるだろう。

奥さんと私で、収穫したキャッサバをもってきた大皿に詰め込んでいると、娘が奥さんに赤ん坊を渡して林の中に消えていってしまった。ほどなく、「カーン、カーン」と斧で木を切る音がする。娘は薪をとりに行ったのだ、とその音を聞いて知る。

20分ほどたって、娘は総重量20kgはある樹皮や太い幹を頭にのせて現れた。にやり、と笑って娘が私に言う。

「あなたはこれを頭にのせて家へ帰るのよ」

うーん、もうその手にはのらないぞ。汚れた手を洗いながら、笑って私は断る。カクウェジはマメ科の木の皮でできる即席のロープで、切り出してきた木を束ねた。

「さあ、家へかえろう」

奥さんがキャッサバを満載した大皿を頭の上にのせてはこび、その後ろを娘が赤ん坊を背負い、薪を頭にのせてはこぶ。さらにその後ろを、チンデーレの私がリュックを背負ってついていく。途中、奥さんはチラチラと娘をふりかえり、頃合をみて休憩をいれる。

休憩した後、今度は奥さんが子供を背負って薪を運ぶ。娘はその後からキャッサバを頭にのせて歩く。私はおいてけぼりをくらわないよう、あわててリュックをつかんで歩き出す。この日収穫したキャッサバのイモは総重量30キロ。ごはんにしてしまえば、5人家族なら2日しかもたない量だ。食べる分がなくならないよう、2〜3日に一回は収穫へでかけなければならない。

日本でも「母は強し」と言う。それでも、赤ん坊を背負って農作業をするアフリカの女性も、その大変さを知りながらサポートする周囲の女性も、まったくなんてタフなんだ。

私は、彼女達の運ぶものの数十分の一にも満たない重さのリュックを背負って、いろんな噂のとびかうおしゃべりを楽しみながら、いっしょに畑へ通ったことを今でも鮮明に思い出す。

彼女達は、穏やかな時間がながれるあの場所で、今日も風そよぐキャッサバ畑を耕しているのだろう。