♪「サンダウェのピラウってどんなの〜?」
「緑色のトウジンビエだよ」
「スープはどんなの〜?」
「割ったアンクマの仁が混ざっているよ」
この歌、最初に聞いたときは、びっくりして笑ってしまった。日本語に言い換えれば、
♪「京都の人のお茶漬けってどんなの〜?」
「白いごはんだよ」
「何が入っているの〜?」
「お漬けものが混じっているよ」
といったかんじ。そして、歌詞はこれでおしまい。
なんとまぁ簡単で単純で、即席っぽい歌だと思う。でも、サンダウェという人たちのクリック音を交えた独特の言葉で、手拍子と共に軽快にうたわれるこの歌は、老いも若きも、男も女も、サンダウェなら誰もが知るすごくポピュラーな歌なのだ。
砂ぼこりを立てて激しく踊るこんな時にも、♪サンダウェのピラウ〜♪とうたわれる
まず、歌の解説をしよう。
サンダウェとは、わたしが計2年お世話になったタンザニアの中央部に住んでいる人たちの民族名だ。ピラウとは、ジャガイモと肉を、いろんなスパイスを入れて炊きあげた、いわばタンザニア風炊き込みご飯。村では結婚式など特別な日以外ほとんど食べられないけれど、とてもおいしくて人気の料理。トウジンビエは、穀物の一種で、がまの穂みたいな少し緑色の穂をつけ、世界で一番乾燥に強い穀物だと言われている。タンザニアの中央部は雨が少ない半乾燥地帯である。ドドマという首都を含むこの辺りの人たちは、昔からトウジンビエを栽培してきた。今では、「トウジンビエはドドマの食べ物」と言われ、タンザニア国内でもこの辺りでしか栽培されていない。アンクマとは、ウルシ科の野生植物(注)で、実を割って仁を取り出して、この「サンダウェのピラウ」と一緒に食べる。アンクマの仁には油がいっぱい含まれており、まるでピーナッツのようだ。
トウジンビエ
たくさん拾い集めたアンクマの実
この歌は、ミサンゴと呼ばれる料理を指してうたわれている。ミサンゴは、トウジンビエを煮て、塩を入れただけのとてもシンプルな料理で、食べる時にアンクマの仁と一緒に食べる。アンクマがなければミサンゴは作れない、と言われるほどに、食べる時にアンクマと一緒に食べることがポイント。アンクマの実がたわわに実る時期になると、子供も大人もみんなアンクマを拾いに行く。実を半分に割って、小さな棒で仁をかき出し、先にミサンゴをほおばっておいた口に仁を放り込む。わたしもアンクマと一緒に食べるミサンゴが大好きだった。つぶつぶのトウジンビエを噛みながら、口の中に甘いアンクマの油分が広がり、本当においしい。しかし、おいしいから食べ過ぎてしまうのか、それともわたしの胃に合わないのか、毎回、ミサンゴを食べた後、わたしは激しい胃痛に悩まされた。それでもまた懲りずに食べてしまうのは、やはり、アンクマと一緒に食べるミサンゴのおいしさが勝ってしまうからだろう。歌は、そんなかれらのなじみのごはんを、ピラウというタンザニアのポピュラーな料理にちなみ、「サンダウェのピラウ」とたとえているのだ。
アンクマの実を半分に割ってミサンゴを食べるのにそなえる
こんな歌がうたわれているのは、サンダウェにとって、トウジンビエがなじみの深い、大切な食べ物だからではないだろうか。トウジンビエはウガリと呼ばれる練り粥にすると、緑色の少しごわごわパサパサしたウガリができあがる。一方、新参者であるトウモロコシは、外皮を取り除いて製粉すると、真っ白でやわらかいウガリになる。この真っ白のウガリと比べると、トウジンビエのウガリの色は、なんとも見劣りしてしまう。タンザニアを含めたアフリカの多くの国では、独立後、新参者のトウモロコシが、もともと栽培されていた古株の穀物を押しのけて、不動の地位を築き上げてきた。新しくやってきたトウモロコシは、真っ白でやわらかいウガリになり、都会的なにおいがする。今では町の人はこの真っ白なウガリしか食べなくなった。村の人も、田舎者と思われないように、町からやってくるお客さんには、真っ白のウガリを用意するようになった。
しかし、トウジンビエの方が、トウモロコシよりも何倍もおいしいことを、サンダウェはみんな知っている。そして、正直に認めている。「自分たちはトウジンビエが一番好きなんだ」と。おいしくて、栄養があり、腹持ちがよく、乾燥に強い。こんなに優秀な穀物を、「田舎っぽい」という理由で手放す気にはならなかったのだろう。トウモロコシが普及した後も、サンダウェは並行してトウジンビエも栽培し続けた。雨が少ないかれらの居住地域に、乾燥に強いトウジンビエが適していたからということも、もちろん理由のひとつだけれど、でもやっぱり、それ以上にかれらはトウジンビエが好きなのだ。「トウモロコシなんて、おいしくないし、おなかだってすぐに減る。それに比べてトウジンビエはおいしいし、おなかも減らない。トウジンビエを機械じゃなくて石で製粉して、アルミの鍋じゃなくて土鍋で調理したウガリは、ほんとうにおいしいんだから!おかずがなくたって、いくらでも食べられるわ」。ラジオから流れるポップな歌が大好きで、いつかは都会に住みたいと願う友人レジナでさえも、都会的なにおいのするトウモロコシより、田舎者と思われがちなトウジンビエを好んでこう言っている。彼女はとっても華奢なのに、トウジンビエのウガリなら、びっくりするくらいの大きなサイズをひとりでペロリと食べてしまう。
トウジンビエを石で製粉する。こうして手間をかけるととてもおいしくなるが、けっこうたいへんな仕事。
わたしがお世話になっていた村は、1927年にキリスト教の宣教師がやってきた。宣教師たちは、キリスト教を普及するにあたり、サンダウェの伝統的な歌や踊りを禁止した。最近ではラジオが普及し、若者はサンダウェ語の歌よりも、ラジオから流れるスワヒリ語や英語でうたわれている都会の音楽が大好きだ。だから、今ではもう、うたわれなくなった歌や、老人しか知らない踊りがたくさんある。そんな歴史にもかかわらず、この簡単で単純な短い歌が、サンダウェなら誰もが知る歌としてうたい続けられてきたのは、この歌の背景に、古株であるトウジンビエへの強いこだわりが込められているからかもしれない。
注:アンクマ (an//uma) とはウルシ科のSclerocarya birreaで、英語ではマルーラと呼ばれる。これを材料に作られた南アフリカのアマルーラというリキュールは、その瓶に貼られたゾウの挿絵とともに、とても有名だ。