白い青年(タンザニア)《balanda/青年/ダトーガ語》

宮木 和

「お前の名前はバランデシュだ。」
ギダージは、木陰に腰をおろしながら言った。ぼくには、その意味がすぐにはわからなかった。
「お前の国での名前は知らない。でも、ここでの名前はバランデシュだ。」

ここは東アフリカ・タンザニア北部の乾燥地域。時は乾期。目がくらむほどの日差しが、真上から照りつけて暑い。住んでいるのは、ウシや、ヤギ、ヒツジなどを飼うことを生活の中心とする、ダトーガという民族の人たちだ。彼らの生活ではとくにウシが大事で、たくさんもっている男はみなの尊敬をあつめる。タンザニアにすむウシ飼いの民族というと、マサイが有名だが、ダトーガの生活様式や服装など、マサイと共通する点が多い。ぼくはダトーガ語が話せないから、彼らとは、タンザニアの共通語であるスワヒリ語でコミュニケーションをとっていた。

景観

ギダージもまた、ダトーガの一人だ。彼は30代なかばで、ぼくの兄と同じくらいの年だろう。身体は引き締まっていてたくましい。まだ若いけれど二人の妻がいて、たくさんのウシをもち、周囲の若者から一目おかれている。

現地調査のために滞在していた大学院生であるぼくに、彼は「バランデシュ」というダトーガ語の名前をつけてくれたのだった。聞けば、それは「白い青年」という意味だという。「青年」はダトーガ語で「バランダ(balanda)」だ。「白い青年」としたければ、語尾に「エシュ(esh)」をつけて、「バランデシュ(balandesh)」とすればいい。なるほど、ここの人にはアジアの人も欧米の人もみな「白人」にみえるようだから、ぼくはたしかに「白い青年」かもしれない。意味はさておき、バランデシュという言葉のひびきが気に入った。

ひとくちに青年といっても、この地域の「バランダ」は日本の青年とはだいぶちがう。

ダトーガの青年たちは前頭部を剃り、のばした髪を編んでいて、なかなかカッコイイ(写真)。暇を見つけては、一生懸命に自分の髪を編みなおしている。彼らにとっては、そうやっておしゃれをすることが大事なのだろう。

ダトーガの青年

青年の髪型

家畜を草原へ連れていって放牧する、ウシに水を飲ませるために井戸水を汲む、といった骨の折れる仕事を中心になっておこなうのが、10代や20代の青年たちだ。この地域では、家族のなかで、長老、つまり青年の父がおおきな権威をもつ。長老は知識と経験にもとづいて判断をくだして、青年たちに指示をだす。それに対して、青年たちはあるていどの知識と技術を身につけていて、実際に現場で動く役割をになっている。

放牧を担当する青年は、みなより先に朝食を食べてから、夜明け後すぐに出発する。食事の基本は、主食であるトウモロコシのウガリと牛乳のセットだ。乾燥地域の朝は涼しい。あつあつのウガリを直接手にとって丸めて食べているうちに、手と口と腹から身体が温まって、放牧に出発する準備ができる。青年は食べ終わるやいなや、杖と弓矢と身一つで出かけていく。杖は、家畜の尻をたたいたりして群れを誘導するのに必須のアイテムだ。弓矢はヒョウなどの危険な野生動物から家畜を守るのに使う。

放牧中は水をまったく飲まない日も多く、一日に炎天下を10km以上は歩くが、彼らは慣れっこだ。ところどころに生えているバオバブの木の実や、そのほかの果実をおやつ代わりに食べるほかには、何も食べないで過ごす。ぼくからみれば、彼らの細身の身体はおそろしく頑丈にできている。

ウシを放牧する青年。中央がバオバブの木

ただし、放牧がひとえに苦行だというわけではない。ダトーガは陽気な人たちだ。重労働をしているときでさえも、いつも冗談を言いあっていて、どこかへらへらしている。放牧中の青年は、近くで放牧しているほかの牧夫や牧童と話をしたり、遊んだりしている。それにこの地域では少女も放牧に出るから、青年が放牧のあいまをみつけて少女をくどいていることもしょっちゅうだ。ぼくはかやの外で、居場所がなくて困ってしまう。

青年がウシを連れて家に帰るころには、日は沈んであたりは真っ暗になっている。そして翌朝また、青年は何事もなかったかのように放牧にでかける。

ところで、調査を始めたころのぼくには名前がなかった。調査地のダトーガの人たちにとっては、この肌が白い男は「白人」でしかなかったようだ。ぼくは、はじめはダトーガの人たちに「ヤスシ」と自分の名を名乗っていた。けれどその名は浸透せず、だんだん名乗ることが無意味だとおもうようになって、あきらめた。

ふだんから誰よりもお世話になり気を許していたダトーガのおばさんが、ぼくのことを「白人」と呼ぶのを聞いたときは、ショックをうけた。周囲にいた人は、ぼくには「おまえ」と呼びかけて、「白人」という言葉を使うことは決してなかった。けれど、ダトーガ同士の会話では「この/あの白人は・・・」と話していたようだった。ぼくは「白人」という意味のダトーガ語を知っていたから、自分が話題になったときにはすぐにわかった。

今考えると、ぼくに呼び名がなく、「白人」と認識されていたことにも納得がいく。この地域には、外国人はもちろん、近隣のほかの民族もほとんど住んでいない。ぼくの存在はあまりにも特殊で、ほかの「白人」と区別して呼ぶ必要もなかっただろう。それに滞在期間も短かかった。

けれどぼくは、みんなが自分をひとりの人間として認知してくれていない、と感じて気を落としていた。

そんななかでギダージが呼び名をつけてくれたことは、とてもありがたかった。朝、水を汲みに井戸へ行けば、かならずギダージが先に来て、家畜の水のみ場に水を満たしていた。
「おはよう、ギダージ」
とぼくが声をかければ、ギダージは
「おはよう、バランデシュ!」
と返す。ぼくは挨拶のやりとりをつづける。
「元気かい?」
「元気だよ、バランデシュ!」
彼はいちいちぼくにつけた名前を呼んで、おかしそうにしている。周囲の人たちは、確かにこいつは白い青年、つまりバランデシュだなと、納得したように笑う。ぼくの心も和んだ。

そのうち、何人かの人がバランデシュという名で、ぼくを呼び始めた。そしてそれは呼び名としてだけではなくて、ひとつの冗談として働きつつ、ぼくを社会のなかに溶けこませていってくれたのだった。