今どきのキャンパス事情―アフリカの大学生の生活(タンザニア)

岩井 雪乃

タンザニアの大学生がどんな生活をしているか、日本のみなさんは想像することができるだろうか?ここでは、私が10年前から家族ぐるみでつきあってきた青年、マベンガくんのキャンパスライフを通して、タンザニアの最新の大学生の暮らしぶりを紹介したい。

マベンガは、タンザニア唯一の総合大学ダルエスサラーム大学の2年生。地理・環境学科を専攻している。タンザニアの大学進学率はとても低く、小学生1000人のうち、大学まで行けるのは、たったの1.5人しかいない。さらに、マベンガは、セレンゲティ国立公園のすぐ近くのド田舎の村の出身で、この村から出た初めての大学生なのである。国のエリートでもあるし、地元の村では期待のホープなのだ。

すっかりアフリカの勘を忘れ、浦島花子状態でおどおどしながらダルエスサラーム空港に降り立った私。でも、出迎えに来てくれたマベンガの顔を見てそんな心配はふっとんで大興奮。再会のうれしさのあまり、何から話していいのかわからないぐらいだった。

5年ぶりに会う彼は、立派な男になっていた!5年前はまだ中学生であどけなさが残っていたのに、今はひげを生やしてボタンダウンのシャツを着てビシッとしている。少ししかめ面をすると近寄りがたいぐらいだ。頼もしく成長してくれた姿がうれしい。弟の成長を喜ぶ姉のような気分だ。

インターネットと携帯電話の普及

この日のための事前連絡は、Eメールで取り合った。そう、アフリカでもここ数年、インターネットの普及は目覚しい。主要な町にはネットカフェが林立している。コンピューターを買うことは、まだ大多数のタンザニア人には高嶺の花だが、ネットカフェなら1時間50円ほどで利用できる。日常的にアクセスすることが可能な金額だ。

5年前を思うと隔世の感がある。あの頃は手紙しか通信手段がなく、手紙を書いてから返事が来るまで1ヶ月以上はかかったものだった。それが今や、たいてい翌日にはメールで返事がくるのだ!封筒に入れて切手をはってポストに投函する、というわずらわしさは省かれ、本当に着いたかどうか、途中でなくなってやしないかと心配する必要もない。タンザニアの友達が、なんと近くに感じられるようになったことか!

そして、さらに驚くのが携帯電話だ。マベンガは、携帯電話でなじみのタクシー運転手を呼び出し、私をホテルまで送り届けてくれた。

今や携帯電話は、ダルエスではほとんどの人が持っているのではないか、というぐらい普及している。大学生にいたっては、ほぼ全員が持っているといっていい。5年前には携帯を持っていたのは白人ぐらいだったのに。運悪く待ち合わせに遅れれば、もうその日に会うことはほとんど不可能だった。それが今では携帯で、「遅れるからもう15分待ってて」「今どこ?ちょっと用があるんだけど会えない?」などと連絡できるから、簡単に会いたい人に会えるようになった。

しかし、さすがに携帯電話はネットカフェほど安いものではない。機体は5000円以上するし、通話料は1分で100円ほどする。100円は、タンザニアでは食事3回分の値段に匹敵する。日本円の感覚では2000円ぐらいだろうか。

奨学金や仕送りでかつかつの生活をしている大学生たちは、頻繁に電話をかけることはできないので、携帯電話についている「メッセージ」という機能を主に使っている。メッセージは、電話機でやり取りされるメールだ。携帯に向かって親指を熱心に動かしている大学生の姿は、日本の若者と変わらないので、またびっくりしてしまう。

タンザニアならではとして、「ビープ」という手段がある。これは、いわゆる「ワンギリ」だ。お金のありそうな相手に対しては、1、2回ベルを鳴らして切る。「お金はないけど用件があるから電話して」というサインになる。つまり、私にかかってくる電話はほとんどビープばかり。時々、知らない番号からのビープもあるが、かけなおしてみるとマベンガだったりする。

「ハロー、マベンガだよ。近くにいた人の電話を借りてるんだ。自分の電話は残額がなくてビープもできないんだよ。」

こちらの携帯はすべてプリペイド式で、残額が1円以下になるとビープもできなくなる。

「電話にお金を入れておくと、ついかけちゃうだろ。そして食事抜きで過ごす破目になるんだ。今週はキツイからチャージできないんだよ。」

生活を圧迫する魔の誘惑を持つ携帯だが、なくてはならない生活ツールとなっている。ここまで普及しているのは、アフリカの人びとがコミュニケーションを大切にしているからだろう。「おしゃべり好き」「うわさ好き」とも言えるが、それだけ人と人のネットワークを大切にしいるし、この人間関係がアフリカでのサバイバルに重要なのである。

頭を使う学生生活

大学生の生活は、実に忙しい。講義が朝から晩まであり、講義の合間や終わってからはレポート書きもしなければならない。参加させてもらったある講義は、マイクを使った大講堂で300人の学生が受けていた。毎日講義が終わるのは夜8時で、料理をする暇もないため、寮では自炊している学生はほとんどいない。

学生は全国各地からやってきており、みな寮で生活している。10畳ほどの1部屋には4人入っている。2段ベッド、戸棚、細長い机、イスが備品のすべてだ。小さな割当の戸棚にすべての荷物を納めている。寮の中といえど盗難は日常茶飯事なので、各自が整理整頓、鍵かけを徹底しており、とてもこざっぱりしている。マベンガの戸棚の中も、服はきれいにたたまれ、コンパクトに荷物がまとめられている。

「ダルエスはウボンゴ(脳みそ)って呼ばれるんだよ。常に、騙されないように、得できるように頭を働かせてなかったら、すぐに丸裸になってしまう町さ。」

専門知識を身につけても、同時に生活術、処世術にも長けていなければ就職できないのがタンザニア社会だ。エリートとして気楽に学生の身分を謳歌しているように見える大学生活の中でも、その技は日々鍛えられている。

二つの世界を生きる

大学生のエリート意識はたいへんなものだ。公務員の月収が5千円ほどなのに対して、「大卒で勤めるのだったら月給5万円以上でないと納得できない」と学生たちは言う。さらに、最大都市のダルエスで就職するのが理想型であり、地方の実家に戻って農民になるのは「脱落者」とみなされる。だから、マベンガが「実家の村に帰って、村の近くで仕事を探す」と言うと、彼の友人たちは驚きあきれてしまうのだ。

マベンガの実家は、ダルエスからバスを乗り継いで3日かかる。電気も水道もない僻地の村だ。彼の家は、父親が健在なころは比較的裕福だったが、数年前に父が体を壊して入退院を繰り返すようになってからは没落の一途をたどった。とうとう半年前に父が亡くなると、財産である牛はあっという間になくなってしまった。

長男であるマベンガは、父亡き後、大家族の家長としての責任を背負っている。母、5人の弟妹、祖母、2人の叔母、12人のいとこ、11人の甥姪はとこ、総勢32人の将来を彼が心配しなければならない。この数は、弟妹いとこたちの結婚と出産によって、この先さらに増えていくだろう。遠く離れたダルエスにいても、常に家族の状況を心配して眠れなくなることも多い。「今年は雨が降らなくてうちの畑は不作になりそうだ。来年まで食糧がたりるだろうか」「弟といとこが小学校を卒業する。中学の学費をどうしよう」などと考えていると、とても勉強に集中することはできない。27歳になる彼は、そろそろ自分の結婚を考える時期だが、この調子ではいつになることか。

そんな苦難の多い村の生活だが、彼は自分の故郷が大好きだ。自分の村が発展するために、大学で学んだことを活かしたいと切望している。今後の村での生活のことを考えて、村へ帰ったときには村人に受け入れられるよう人一倍努力する。

「村ではわざと破れたシャツを着るんだ。行事には必ず参加するし、畑仕事も牛の世話も率先してやるよ。でないと『あいつは町の人間だ』と思われてしまうからね。」

これまで村から町の学校に出て行った人間は、ほとんど村に戻らずに、そのまま町の住人になってしまっている。そんな風に「町の人間」として特別視されてしまっては、村では暮らしにくい。彼は、自分が村に戻ってくる意志があるし、村の将来を考えるコミュニティの一員であることをアピールするよう気を配る必要があるのだ。

パリッとしたシャツを着て、ピカピカの革靴を履いて、携帯を片手にエリートとしてさっそうと大学構内を歩くマベンガだが、一方で、大きな格差のある農村世界の住人でもある。二つの対照的な世界を行き来しながらも、両方の世界にしっかり根を下ろす、そんな新しい理想型を、ぜひマベンガに実現してほしい。彼なら、近代化を追いかけるだけではない、アフリカならではのモダンなライフスタイルを生み出すことができるのではないだろうか。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。