あるとき、私がケニアの首都ナイロビの街をぶらぶらと歩いていると、新しくショッピングセンターができているのをみつけた。携帯電話の店や、服屋、しゃれた食器を売る店などが並ぶ中に、ゲームセンターがある。あまり広くないスペースだったが、日本のゲームセンターのようにゲームの機械がいくつも並んでいる。そういうものをナイロビで見たのは初めてだったので、入ってみることにした。
客は私の他には誰もいない。カウンターには暇そうな店員がいて、飲み物を頼めるようになっていた。せっかく入ったので何かやってみようと思い、モデルガンで画面上の敵を撃っていくゲームをやることにした。こういったタイプのものは、日本のゲームセンターでも珍しくない。
1ゲーム当たり50ケニアシリング。ただ、50シリングのコインは存在しないので、店員に金を払い専用のメダルと交換してもらうシステムになっている。直接硬貨を入れる日本のシステムに慣れていると、これは非常に煩わしい。
メダルを入れるとゲームが始まった。あの映画のランボーになって敵兵を撃ち殺していくゲームである。音声はあろうことか、日本語である。どうやら日本の機械をそのままケニアに持ち込んだもののようだ。ケニアに来て日本語のゲームをやるのは奇妙な感覚だった。ゲームオーバーになるまでひととおり遊び、私は店を出た。
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この店は今現在、流行っているとはとても思えないが、これから先、大勢のケニアの若者がゲームセンターに集う、という未来はあるだろうか?
ナイロビのカンゲミ・スラムには、10〜20シリング払うとプレイステーションのサッカーのゲーム「FIFA」が1試合できる場所があるという。西ケニアの農村で滞在していた家の少年が、ナイロビに住んでいたときによくやっていたのだそうだ。
「FIFA」は日本では「ウイニングイレブン」と並ぶ有名なサッカーゲームで、ヨーロッパでは「FIFA」の方が、知名度が高いという。サッカーのスタープレイヤーであるリオネル・メッシとセルヒオ・アグエロはアルゼンチン代表のチームメイトであるが、普段はスペインとイングランドという違う国でプレーしているので対戦する機会がない。しかしインターネットを通して「FIFA」で対戦して遊んでいるのだという。
私は実際にスラムの一角でFIFAが遊ばれているのを見ていない。もしかしたら、他のゲームも遊ばれているのかもしれない。これはまったくの想像だが、たとえば、対戦型格闘ゲームのようなものはケニア人の若者に好まれるかもしれない。
あるいは、ケニアでもスマートフォンのゲームが中心になるのかもしれない。もしかしたら、ケニア人の若者は、ゲームにはそこまでは興味をもたないかもしれない。ただ私は、映画や小説がその国や個人の文化・価値観を反映したものになるように、「ケニア的、あるいはアフリカ的ゲーム」が誕生したら面白いな、と思っているのだ。それはいったいどのようなものになるだろうか?
「アウターワールド」という、フランス人のプログラマがひとりで作ったというゲームをやったことがあるが、まさに異文化、別種の精神に触れた気がして衝撃を受けたものだった。そんなゲームがアフリカ人の間から出てきたら、と私は想像している。
ナイロビのような大都市は、まるで一つの生物のように変化し続ける。明日はなにが生まれるのか、誰が知るだろう?
そういえば、私が小学生の頃、家から少し離れたところに「佐藤商店」と呼ばれていた個人商店があり、店の前にゲームの機械が置かれていた。「ファイナルファイト」や「ストリートファイター㈼」といった当時人気だった格闘ゲームができるのはその店だけだった。
もしかしたら「佐藤商店」ではなく「佐藤酒店」だったかもしれない。なにしろ、店の名前を一度も確認していないのだ。本当は全然別の名前だった可能性もある。仲間内で符丁のように「佐藤商店」と呼ばれていたのだった。
小学生の私たちは、自転車で30分かけて「佐藤商店」に行き、これも発売されたばかりの森永製菓の「アイスボックス」を食べながら、二百円ほど使ってゲームに興じた。アイスボックスも当時はまだ駅前の大きなスーパーでは売られておらず、その店でしか買うことができなかった。
店主は、雨が降ると、「酸性雨だから当たらないほうがいい。服も髪もドロドロに溶けてしまうぞ」などと近未来SFの登場人物のようなことを言って、帰ろうとする小学生の私たちを店に引き留めようとしたのだった。あの店主はまだ元気だろうか? ずいぶんと前のことだ。もう、その店に向かう道順も覚えていない。